コラム毎日新聞中部本社連載JACK&BETTY矢崎藍(1999,6月より) →連句わーるどトップへ
バルト海を望む |
■オリーブ一粒new ■レッツ付け句 ■二万句の鎖 ■上の空の夏の月 ■目がさめた? ■「スチールデスク」 ■女と女 ■足踏んだやつ ■みどりご ■アフガンの月 ■煙突の中 ■かぼちゃの花 ■ニャンニャンニャン ■痛い!痛い! |
■むくむくと入道雲 ■踊る街角 ■インターネット一夜 ■低温やけどのような恋 ■若者のすなるオフ会 ■レーニンとタクシー ■二番目が産めるか |
連句に関係のあるものからアップしてゆきます。KUSARIからもときどき引用しています。
■『オリーブ一粒』 2002.12.18 No.57 |
おお、寒。21世紀の初頭を政治も社会も、ますますもがきながら暮れます。このコラムを書き始めた三年前ちょうど、私のホームページに連句の鎖が発生。この年末に2万5千番に迫っています。日々の付け合いは現代庶民史。 計算狂う真紀子ソロバン 不用之助 目つむれば父の渋面ありありと 霞 七月にこの句が付いて八月に議員辞職。それがもう 昔々に思えません? 擦り寄られてる通勤電車 紫 とりあえず両手は上にあげておく カンちゃん と笑っちゃう句もありまして。九月十一日直後には。 マンハッタンを染める朝 焼け 聖子 オリーブを鳩に一粒くれてやる 道草 真夏の水平線はきまじめ あおゆき 「お前、平和の象徴なんだろ!なんとかしてくれよ」と道草さんはカクテルのドライマンハッタンのオリーブを投げてやったらしい。鳩は豆鉄砲より困惑。殺し合いをやってきたの、あんたたち人間でしょ!で、まさか、まだやる気では?。 あおゆきさんは大学院生さんとか。お互い知らないけれど、いまの地上にいる者どうしだから、こうして句で語り合えるんです。 年金減って増えた医療費 たつみ 弓なりになってこらえる土俵際 聖子 大寒に入る日本列島 キリマンジャロ 本当に、早めの大寒みたいですけど、みんなで少しでもよい年にしましょう。 授賞式晩餐会へと続く夜 蕗 チェロの音色はビロード のよう 藍 (やざきあい 作家・桜花学園大学教授) |
■『レッツ付け句』
2002.10.18 No.54
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去年、大学祭のキャンパスで一般の方と連句交流をしたのが好評で、今年も第二回を開きます。 おでん、手作りクッキーいろいろな屋台をひやかしながら、留学生のお国ぶりの出し物を見ながら、ぶらぶらやってくると、赤い傘と縁台。ちと風流な言葉遊びの空間があるんです。 今年のお題は、「横顔の君にきょうこそプロポーズ」です。この五七五句に七七句を付けてくださいというわけ。授業で学生たちが考えた句や、一般の人、、連句人の付け句がたくさん貼ってあります。 (横顔の君にきょうこそプロポーズ) 薔薇の花束両手いっぱい セトリン 降る雨粒は天のお祝い 帳成晋 これは学生たちの句。 (横顔の君にきょうこそプロポーズ) ひびわれた手を隠すエプロン K これはまた生活感がにじんじゃって。各世代のたくさんの付け句を眺めて笑ったり、しみじみしてから、お気に入りの句に投票したり、コメントを付けたり、そしてもちろん、ご自分が思いついた句をその場で書いて貼ることもできます。 初心者用のしりとり連句の座なども用意していますので、付け句、連句に興味のあるかたはお遊びにどうぞ。「とよた市民キャンパス連句まつり」は10月26日(土)正午―4時。於桜花学園大学(愛知県豊田市太平町。0565-35-3131 FAX0565-35-3137)ご遠方のかたは、当日インターネットでも投句できます。ホームページ「矢崎藍の連句わーるど」へ接続を。http://village.infoweb.ne.jp/~megitune/ (やざきあい 作家・桜花学園大学教授) |
■『二万句の鎖』
2002.08.12 No.52
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おととしからインターネット上で、不特定多数の人がつないできた長い長い連句の鎖。七月の十日23時18分に2万句目が付いた。 東京から「お祝いにシャンパンどうぞ」と書き込みがはいる。三重県から「海女小屋で焼いた雲丹さしいれます」そして「うちの畑の茄子胡瓜の一夜漬け」「私の新ジャガコロッケ」「お赤飯ですよー」とバーチャルの夏の宴。つまり大人のままごとであります。 そこで二万一番からは百句、妖怪の名を詠みこむように呼びかけた。すぐに、 舞の夕冷酒飲んでは鼓打つ (幽霊)道草 頬に流れる涙一筋 (鬼)ミャーママ なんて続くわけです。『古今和歌集』には「物の名」という巻がある。定数の百韻連歌も詠みこみの「賦し物」から発生したといわれている。好きな面々は昔も今も多い。この鎖連句でも折節に鳥や魚などの名の詠みこみをすると必ず盛り上がった。でも妖名は長い単語が多く工夫がいるよ。 今朝のこと黙っていろと塞ぐ口 (言霊)はやお 起きた老母が隣の部屋に (鬼太郎)霞 ハハハ、うまいうまい! 草野球血気盛んな応援団 (吸血鬼)兎 朝シャンブローメイクば っちり (シャンブロー) ひよひよ シャンブローはSFに出てくる宇宙魔女です。 恋に賭けよう誠心誠意 (妖精)みのり もう四人振って私は十八歳 (ニンフ)藍 しんと月冴ゆ気温何度か (雪女)蕗 会社から家庭から、食事中会議中に妖怪の名のよぎる夏。この長い鎖連句はもちろんたった今も増殖中。 (やざきあい 作家・桜花学園大学教授) |
■『上の空の夏の月』
2002.07.12 No.51 |
梅雨なかば、凌霄(のうぜんかずら)が妖艶に咲き出した。わが家の門はひばの原木を立てただけで、それが気に入ってからみつき茂った蔓はがっちり太い。 原産の中国で見たら、日本のより赤が濃かった。洛陽の白馬寺。日照りの階段を汗だくでのぼりきって着いた高楼。その甍より高く柏の巨木が聳える。そのはるか梢に朱赤の花。なるほど凌霄(大空を凌ぐ)なのだと納得した。 ちょっと共感もあります。私は子どものときから上の空とよくいわれてまして。「コラ、真剣にご飯食べなさい。何考えてんの」この年になってまだ治らない。いつも頭がいっぱいで。 今は「夏の月」のことを考えている。去年北京大学の日中連句研究会に行った。日本語と中国語で翻訳しながら連句をしたのだ。そのときご一緒した鄭民欽先生著の『日本俳句史』を、先日たまたま読んでいた。 芭蕉の「蛸壺やはかない夢を夏の月が訳されている。「陶罐捕章魚、 忽人生 残、夏夜月如玉」――ふむ。ふむ。日本人は漢字を見ると感じがわかりますよね。 では、私の住む三河地方に残る芭蕉の「夏の月御油より出でて赤坂や」はどう訳されるのかしら。あれは実際に東海道の御油宿―赤坂宿を歩いてみないと訳せないはずだ。「鄭民欽先生、歩きにきませんか」と北京への電話でお話したのが事の始まり。とうとうこの八月六日に鄭民欽先生をお招きし、御油の松並木を歩き、日中連句会をする行事ができてしまった。 翌七日は私の勤務校で「日中連句会議」つまり第二回日中連句研究会を日本ですることになった。で、私の上の空には夏の月がぽっかり。(やざきあい 作家・桜花学園大学教授) |
■『目がさめた?』
2002.06.14 No.50 |
メディア関連法案、有事関連法案とーー憲法の根本にかかわる法案が、危険性に驚いた国民の声にようやくおしもどされている。まだ油断はできないが、さすがに以前の与党がくり返してきた単独審議、強行採決はできないようだ。 もしそれをしたら、今の首相を支持した有権者を完全に裏切るからね。ミーハーに見えた人気でも、多くの人が「党より人」に期待した事実は彼を縛る。 ここのところバブル時代の組織悪の暴露が続く。「みんなやってきたのでやった」ことが非難されている。それは、組織悪をみんなで容認してきたこれまでよりは、ましな社会感覚になったといえる。 「ひどい世の中ですね」はいまや「おはよう」の挨拶のよう。でも去年の9月11日からひどい世の中になったわけではない。それまで今の社会に従順に適応してお金を儲けて生きれば、みんな幸せという感覚が、鈍感にすぎたのだった。 中東は遠いし、ラーメンを食べながらテレビの劇場戦争を見ていたころもあった。でも、なんと世界はつながっていて、日本もブッシュ戦略に組み込まれているかもしれないのだ。 サッカーも見なきゃ。晩ご飯の献立も考えなきゃ。。赤んぼのお風呂もいれなきゃ。忙しい私たち。 でも、あまりにのんきに誰かに任せっきりでいた数十年ではないか。いま意志決定を迫られてるのは私たちなんだと。そう多くの人の目がさめたなら、日本の戦後民主主義小学校は終わり、つぎのステップが始まる。あのね、組織の論理に弱くて、わがままといわれがちな女たちの感覚、たぶん重要なんだぞ。(やざきあい 作家・桜花学園大学教授) |
■『スチールデスク』 2002.05.17 No.49
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先回の澁谷道さんとのFAX連句を読んだ男性から、「女って男の性に究極の絶望をするわけですか」なんて確認され、あたふた。 4 見知らぬ男逆光に立つ 藍 5 抱かれつつ果てなき沙漠肩ごしに 道 というところだった。 「いえ、男を非難してるわけじゃないんです」 実は私はこの見知らぬ男を光源氏のようなイメージでいる。 むしろ優しい。女を女として扱うだけだ。でも、あの物語の中で、光源氏に襲われた空蝉、義理の母の藤壺。自分の寝床にすべりこまれた女たちは皆、彼を逆光を背にした見知らぬ男と感じたと思う。 いや、正式な結婚であっても。現代の恋愛結婚であっても。男女は何もかも分かり合って結ばれるわけではない。フェロモンの引力、あるいは将来の経済的安定などにひかれ、うっかり結婚という約束の橋を渡るのだが、ときに抱かれながら「こいつは誰だ。あの親しい彼じゃない。見知らぬ男」と愕然として、遠い砂漠を見ることはある。眠りこみ、日常の顔に戻り、社会にはめこまれてじき忘れてしまうけれど。 5 抱かれつつ果てなき沙漠肩ごしに 道 6 スチールデスクすべすべと冷え 藍 次の句を付けた私は、場面を現代のビルの職場に転換したつもり。女の肌が感じたデスクのすべすべだ。自分たちが熱いからなお冷たい。この場合に女は自分の意志で男を選択していると思う。ひとは快楽の頂点で果てない砂を見る。 ――ごめんなさい。こういう虚構世界にはまるのが連句の業。限りなく非日常的。 (やざきあい 作家・桜花学園大学教授) |
■女と女
2002.04.26. NO.48
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大津から戻ると、大阪の俳人澁谷道さんからFAXがきていた。 「湖畔のひとへ」として 1 えり挿して藍ひといろを曳き帰る 道 (えり【魚入】) あら、私が琵琶湖を見たのをご承知でその風景を下さった。えり挿すは春の季語。湖の漁でえりという竹簀を仕掛ける。夕暮間近、舟が帰る。藍色の水脈を曳いて。そのひとすじ以外は渺茫と春の湖面が広がる。 ここでドキドキする。実は連句を巻く約束。道姉上は姿は優しいが連句は厳しい。仕事の片手間ではできない。私はめぎつねに変身し胴震いする。二日目の晩。 2 春を響もす水底の琵琶 藍 「琵琶を奏でるのは道天女」と書いた。発句を見て、もう華やかな連句の演奏を予感している。その翌日。 3 ふところの守り刀をうち捨てて 道 わきおこる琵琶の音にドラマが幕をあげ、女が現れた。湖畔には古代から女人の物語が数多紡がれている。「うち捨てて」の語調は強い。この女は守り刀をただ捨てたのではないだろう。いったん鞘をぬき白刃を構え、それから、からりと捨てたのだ。何があったの? 4 見知らぬ男逆光に立つ 藍 5 抱かれつつ果てなき沙漠肩ごしに 道 このあたり、道さんの中の女、私の中の女が底に抱いている、男の性への究極の絶望が流れたような。 この展開に6句めをどう付けるか。雑事を終えて深夜、ひとりの、いや一匹の生き物にかえる私の、至福の時間だ。 澁谷道さんは現代俳句協会賞受賞者。「俳句と連句が私には必要」と語る表現者である。 (やざきあい 作家・桜花学園大学教授) |
■アフガンの月 2001.11.16. NO.41 同時多発テロがあった3日後に、インターネット連句の鎖に、アメリカから句がはいった。 ニューヨークいざよいながら月が出て 雨乞小町 ほんとうに月も目をそむけおずおずと出ただろう。 その日からCNNのニュース画面にはNEW WARというタイトルがついた。10月9日、アメリカの空爆開始からはWAR AGAINST TERRORになる。 月は二度満月になり、いま下弦になる。 秋深き隣は何をする人ぞ 芭蕉 ヴェールを透かす アフガンの月 渥子 先日「市民キャンパス連句会」(豊田市・桜花学園大学)での投句である。 アフガンの地で月をみあげる女たちがいま確かにいる。子どもを抱いて。「いやだいやだ。雄は嫌いだ」と私は口走ってしまう。テレビの画面はテロで都市を破壊する雄、報復爆撃に飛び立つ雄、闘う雄たちで満ちて見える。日本も特別立法で、対テロ支援に自衛艦がインド洋へ向かう。海外派兵じゃないというが。 夏の靖国参拝問題からこのかた見えるものがある。 もしも、憲法九条の条文がなかったら?――日本はいまアメリカを支援して、堂々とアフガンに出兵しているだろう。ベトナム戦争、湾岸戦争もしかり。 9条がどれだけ日本の敗戦後の方向を決定したか。私たちにどんなに身近な憲法か。真剣に考えるときだ。 戦争は女、子どもを犠牲にするーーといわれたのは20世紀まで。21世紀、国家の半分を占め、政策決定の権利をもつ女たちは、歴史の責任もとる。 子どもたちに、どんな世界を残せる? (やざきあい 作家・桜花学園大学教授) |
■足踏んだやつ
2002.01.11. NO.43 21世紀二年目。私のホームページの長い連句も15000番を越えました。 時々刻々の人々の語り合いが句でつづられ、庶民史のようです。猛暑の昨夏―。 日傘たたんで立ち話する 藍 お互いに暑さ嘆いて右左 たつみ 地球上は一応の平和に見えましたが、問題は山積。 風はらみ靖国詣で乱か治か たつみ 足踏んだ奴決して忘れず わび太 踏んだほうはすぐ忘れてにこにこしてる。そして国家もひとりの人格のように怒り、恨む。信頼は築けるのか。 鋭い付けでした。つぎも八月半ばです。 暗き部屋コンビニ袋さえ重く 柳雪 兄に特攻誰が命じた 道草 戦争への警戒感は例年以上でしたが、直後の九月十一日に同時多発テロ事件。 ニューヨークいざよいながら月が出て 小町 チャリティCD予約受け付け 小晴 惨状に目をそむけつつ出る月はアメリカから。このとき一般個人にできる支援行為はまず募金でした。 嘉手納から飛び立つジェット戦闘機 タマ助 NY株式市場再開 蕗 これは19日。日本が世界の中で態度を決めようとするとき。日本という人格は固有の主張ができるのだろうか。 ――以後日常の洗濯物を干す句、恋の句、季節のうつろいの句にまじり、 空爆、アフガン、難民の句が不穏に現実をつきつける。 さて年明け。 15060 記憶にもない雪の朝です たつみ 15061 やぁユーロ!グローバルドルと戦うの?白石 (やざきあい 作家・桜花学園大学教授) |
■みどりご
2001.12.7. NO.42 師走にはいると正月用の発句をつくる。昨年用は パンドラの函あけましておめでとう 藍 だった。皮肉というより自己嫌悪だ。 1900年代後半の先進国家の繁栄の生活を私も享受している。 バイオ研究、クローン研究、インターネット。科学技術の発達は両刃の剣と知りつつ、 社会はあとから出てくる問題を追いかける。 人はね、自ら仕出かすことに、責任をもち、対応できるくらい賢くなきゃいけない。 めでたいめでたい。少々ヤケな句ね、これ。でも、今年の正月。私の周辺、卒業生たちに、 赤ちゃんがつぎつぎにきた。 みどりごのあくびうつくし初明かり 藍 みどりは古語だ。みどりの黒髪というように、本来緑色という色ではない。 細胞がいきいきしてつややかなことをいう。私たちは生き物だから命の輝きに最も心をとらえられる。 若葉、新芽、赤ちゃんは美の極致。赤ちゃんを見てると、ついにこっとしてしまう。 ことにあくびしたり、息をしてるのがいいんだな。 パンドラの函をあけてしまった人類が、賢く生きるのはほんとに難しい。 このまま進んでいっていいのか。立ち止まって考えなくては。そんなとき、一番大事なのは、 哲学でも、思想でもなくて、幼いもののうつくしさを感じる心じゃないか。 それがヒトの世の中を考える際の感覚の土台だと、私は今強く思う。 もちろん自分の子でなくてもです。飢餓と空爆の下の地域にも、いま幼い子たちが息づいている。 (やざきあい 作家・桜花学園大学教授) |
■煙突の中
2001.09.14. NO.38 小学校一年生のころ。 戦後の東京の町は空き地だらけ。 高い草が茂り、ヒルガオが咲いていた。 学校が終わると同い年のゆうこちゃんと遠出した。粘土の出る赤土山、昔は庭だったところのほうずきの群生。 秘密はお風呂屋さんの跡のコンクリートの煙突だった。焚き口からもぐりこみ、さらさらした砂地を這っていくと 丸い部屋に出る。見上げると、暗い煙突のはるかてっぺんに小さい丸い空があった。私たちは煙突の壁によ りかかってくっついて座り、色んな話をした。 丸いちいさい空には雲が流れる。一度、烏の黒い影がとまって、カアと鳴いたら、すごい反響で、私たちはび っくり仰天、大笑いしてしまった。一人できて眠ってしまったこともある。暗くてこわくてお腹がすいて帰った。大 人の知らない孤独で平和な場所だった。 そのころ学校帰りに若い男に話しかけられた。家をきかれ、「向こう」と指さしたとたん塀のかげにつれこまれ た。泣いたので男は手を離した。煙突の中でこの事件をゆうこちゃんにだけ話した。 小学校には、女の子の服の下に手をいれる先生がいた。クラスの女の子は皆知っていて親に言わない。 先生というものを尊敬しないわけではないが、まるごと信用してはいなかった。 四年になって担任の男の先生に可愛がられ、よく教えてもらった。放課後にふたりきりになったとき、あわて て大急ぎで帰った覚えがある。 夕陽のさした階段を駆け下りてゆくとき、先生の「なんで逃げるの」という声が反響した。別に何をされたわ けではない。気の毒な気もしたのだが、 あれから50年。人間の雄の理不尽さを、今も恐れる。 (やざきあい 作家・桜花学園大学教授) |
『痛い痛い!』 2001.02.16 No.29
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まだ寒いですね。梅のつぼみもふくらみ、クロッカスも細い芽をつんつん出したのに。 春を待つのはいま「痛い痛い」と言っている友人がいるからもある。彼女は昨年腰を骨折。そのあとが まだ就寝時にひどく痛む。痛み止めも座薬も最近減った。胃潰瘍履歴があるのだ。「私の痛さはお医者 にはわからない」と嘆く。「痛くて長生きするより痛くなく短く生きたい」――うん。わかるけど。 私も二年前右肘を骨折した。ギプスがとれた後が痛かった。痛み止めを飲むと昼でも眠ってしまい仕事 ができない。目がさめると薬が切れる。つまり起きてるときはずっと痛い。 大病でなければ、痛いくらいしかたないとはいえる。でも「どこも痛くない」日がきたときはなんと幸せな ことかと思った。しかし一難去ってまた一難。翌年は胸に影ができて手術された。ときどき妙に思い出す のが緑のタイルの手術室だ。 思いがけなくBGMが鳴っていた。私の腕に点滴の針をいれている麻酔科の医師に「先生、バッハを聞き ながら手術するんですか」と言ったんだっけ。もう言えなかったんだっけ。次には麻酔が切れかかる闇に いて、人工呼吸器がはずされた。その後痛い日々が三ヶ月続いたなあ。 痛さを堪えるには二種類の希望が要る。まず短い単位での希望。あと2時間5分で痛み止めが飲める とか。二つ目は長い単位での希望。あと3か月したら痛みがなくなりますよという保証があればかなりうれ しい。リハビリでひどく痛くてもがんばれる。何年というのはつらいが限度があれば紛らわす工夫はある。 「この痛みはしかたないよ。治らない」とだけは言ってほしくない。(けっこう言う人がいる)それを言う人の 冷たさに切られてなお痛い。 もうひとつぜひ必要なのは「痛い」と言える相手だ。私の人生の先輩たちは「歳をとるとね、どこかしら痛 くない日はないわよ」と教えてくれる。「でも痛い仲間は多いからね」 私は寝る前にはじめに書いた友人の痛みがましなように祈る約束をした。暖房完備でも寒さは、痛い人 たちにはこたえる。だからね、今日も、はーるよこい。はーやくこい。 (やざきあい 作家・桜花学園大学教授) |