連句エッセイ   新聞雑誌に掲載された連句関連の評論、エッセイ、取材記事などです


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            も く じ

付け句コミュニケーションの原点から
「連句がつなぐアジアの若者」共同作業、韓・日と深まる交流
「日中連句報告」北京大学日中連句研究会
めぎつねのゆめまぼろし「地球連句の未来のこと」
「流動する創造空間」
「山猫様まゐるめぎつね 上下
現代連句の片隅で
阪神大震災と心のケア上・下 
アメリカ連句行 上・中・下 
「何が起こるか未来への挑戦ーインターネット連句ー」

 

 ■付け句コミュニケーションの原点から―付け句コラムとインターネット連句 
                                    矢崎 藍(2010年 「連句年鑑」 連句協会)


    *付け句のDNA
 新聞で「付けてみませんか」という連載コラムを毎週書いてきた。前句を出して投稿された千句余の付け句から選句して、発表がてらのコラムである。気付いたらもう二十一年め。そもそもは紹介した恋の付け合いの句に読者から付け句がきてしまい、あれよあれよとこの形に展開してしまった経緯をもつ。振り返れば胸がつまる程に多くの方と句でお付き合いしてきたのだった。
       (ばったり会った人ごみの中   めじろ)
    「久しぶり」手を握ったが名が出ない    賢々
    目を伏せて揺れる黒髪あっ笑った    だりあん

  応募の年齢層は上限100歳から下限は小学生。主力は五十、六十、七十代。あとは各世代平均している。
       (恋とは不意にやってくるもの  卓 )
    腕まくり時計はずした白いシャツ       紅
    稲光天地で握手するように         青麦

  俳句、短歌や、川柳などをしている作者もよく現れる。
       (ちょっと待ってと呼び止める声 蘭月)
    三ヶ月働きつぎの職探し         さとる
 「ここ五年ずっとです」とある。時事句は世界情勢もあるが年金、福祉に加え近年は雇用と婚活がめだつ。個人目線の生活実感が主になるのは新聞という場の特性だろう。
       (時間よ止まれいまこの場所で  のら)
    娘十三虹の絵描いてるダウン症     のりさん

この句にも事情が添えてあり、掲載後「障害児をもつ親の思いを汲み取っていただきうれしかった」とお便りがあった。生まれて初めての投句だったとか。それまで読者だった人が、ある前句を見て突然作者に変身することはよくある。前句の呼びかけが通じた瞬間なのだと思う。
 前句はいつも連句作品から探す。学生の句も古典の句も出す。発句を拝借しても脇の作法を要求したりはしない。
       (市中はものの匂ひや夏の月     凡兆)
    買い物袋に西瓜半分            H3
    ポタリと守宮落ちる軒先           暁
    他人の顔ですれちがう妻       岩津志乃ぶ
    ネットカフェで息子難民          天嶺
    ヒエログリフの浮かぶ円柱        ふさ子
    空を仰いだ時間旅行者           獅狼

  投稿者のはがきに「時々ここはカラオケルームに似ていると思います。演歌あり。民謡あり、学生歌曲あり、フォークあり、ロックあり、私はJ―ポップ系かな」とある。
  始めのころ歌壇俳壇のように、掲載中の優秀一句に薄謝を出すべきかという話が出た。でも、「このコラムの読者は、賞での差別化はよろこばないだろう」という結論になった。つまり巧拙よりも、前句との共感、表現―を楽しむコミュニケーションコーナーだという位置づけで、私も賛成だった。みんなで句を付け合おうよ! それがいいな。
       (さまざまのこと思い出すさくらかな 芭蕉)
    ミトコンドリアが深呼吸する       三日月  
    たらればかもの積もる夕暮れ       タヌ公

 そもそもここまできちゃったのは「私のせいじゃないよな」という感覚がある。付け句のスキなひとたちのせいである。句を付けることが、ひどくスキなDNAをもってる人は確実にこの国に何%かいて、発信するとそのアンテナがキャッチするのである。
 勿論付け句投稿にとどまらず、連句界に踏み込む人もかなりいる。また、表現の授業をする先生から、生徒さんの付け句の応募も時々あり、毎年恒例の「とよた連句まつり」(豊田市・桜花学園大学主催)の特別記念大会で募吟をしてみた。学校だけで四千余句の付け句がきて、以後新聞コラムとタイアップで「全国高校付け句コンクール」も始まる。前句は恋テーマにする。女子向け? いえ、どうしてどうして。某工業高校の先生も「恋句が盛り上がります。男子生徒にとって一生一度の恋句作り体験かもしれないんですよ」といわれた。ここは在原業平の国なんである。
       ( 呼び出し音に胸が高鳴る 翆 )
    おまえ好きウソちゃうねんでホンマ好き  梅ノ進
             
 応募は年々着実に増え、第七回の昨年は一万五千余句の付け句がきた。付け句の神様の思し召しだろうか。
            *BBS掲示板での鎖連句発生
 この世にインターネットが出現したとき、連句を載せてみたいと強く思った。きっと相性がいいはずだ。1999年一月に連句のホームページを開いた。関係グループ作品、授業報告、対吟の実況などをする。技術係くんが「HPは動かなくては。BBS(掲示板)があれば誰かしらきて会話してくれて楽ですよ」と提案。
 このオプションに付けたBBSに、思いがけず不思議な連句が発生することになる。楽どころのさわぎではなかった。
 始めは私の連句会仲間がおしゃべりの間に付け合いなどしていた。
 若い男性がきて「ブラックバスってフライがおいしいんですよ」
 「へえ」
 数日間のバス談義のうち、彼が一句
     ブラックバス釣れてるときは優越感      麦の子一号
 「どうですか」ですって。まあ連句に無関係な人が私たちに付き合って句を作ってくれた! 
 「でも釣れても僕等、殆どはキャッチ&リリースと言って、寸法測ってから放すんです」
  聞いてつい彼の句に付ける。
      瀕死のぼくを測る巻尺             藍
 それから話題はとんだが、今度は彼が巻尺の句に付けた。
    ダイエットふらふらしても目盛り読む       麦の子一号
 「あら転じてる」
 面白がって連句仲間のミャーママさんが続ける。で、四句目、五句め。
      すぐに食べてと届くぼたもち           ミャーママ 
    おばあちゃんの里に灯ともす谷いそぎ     藍

 「谷いそぎって春に先がけて咲くマンサクです」と私の説明。
 そこへ登場したのが、新聞コラムの読者さん。
    遅れちゃなんねと田んぼを起こし         おはぎ
      春休み暇もてあまし眠り姫           々
  彼女は中学時代から付け句を投稿し入選してきた常連でもう大学生ですって。もちろん私は付けずにいられない。
      一雨ごとにうるむ薔薇の芽           藍
  そこへまた新人現る。えーっ、カリフォルニアから。
     からからの沙漠の空に梅一輪          雨乞い小町。
         どくろが見てる永遠の幻          藍

 という具合にこのバスの付け合いが伸びてしまった。
 数日してきたおはぎちゃんが「うわあ、句が続いてるー。なんだかうれしいです」とまた付ける。この三月二日の「句が続いてるー」というおはぎちゃんの声は私たちをたいへんわくわくさせた。なにか連句を始めた昔に戻ったような。いえ、そもそも平安時代の末に、掛け合い連歌から三句、四句とつながり長い鎖連歌ができてゆく時のよう。
 まだ新人が現れる中、小町さんとおはぎちゃんが精勤、ついに私たちは、前の句の語、内容を繰り返さぬようにとか、付け、転じの注文をしだす。若くセンスがいい。すぐ呑み込みうまくなる。番号を付けて整理する。100番を優に越えていた。
    167  リストラに若年退職肩叩き         小町 
    168   いちにっさんしとつづく人生        おはぎ
    169 終了の合図鳴ってる洗濯機        ミャーのママ
    170  濃すぎるかしらけさの口紅        藍

 以後さらさらと今の私たちの生活感が現代の日常語ベースで流れてゆく。
 方法としては鎌倉時代の笠着連歌に似ている。寺院の満開の桜の木の下で句を付ける。庶民にまじり僧侶や貴人がお忍びで笠を着け仮の名で付けたとか。インターネットではそれが広い広い世界から、多分感性の通じる人たちがやってきてるんだ。桜の宴は終わらない。望む人がいれば午後も明日も続く。どこまで続くか行ってみようか。
  ただお客さんの多くがここにくるまで連句について全く知らなかったこともわかった。三百番すぎに、基本ルールとして次の【連句の原則】を書き形式を整えた。
  ☆お話しながら連句をつなぎましょう!
  ☆連句は五七五句と七七句を交互につなげてゆく鎖です。
  ☆付け句するときは
      @前の句に付けるー前句をよく読んで発想してください
      A 但し前の前の句(ウチコシ句)からは転じるーウチコシ句に似ないように
  ☆ 一句付くたびに新しい世界が開けていきますよ。コン
 最後のコンは、私のハンドルネームがめぎつねだから。そうそう私たちの連句の感動の出発の文章も引用しよう。
   「付け句は前句にのみ付いて、打越の句とは全く縁がない。このような関係を何回も 何十回も繰り返して一巻の作品が創り出される。このような詩制作の手法はどこの国の文芸にも見られない、私どもの先祖が新しく創り出した独自のものである。究極においては、この独自の運動メカニズムさえ失わなければ、その一巻がどのような形式をとろうとも、どのような式目を採用しようとも、私はそれを連句と認めようと思う」(東明雅「連句の復活とその将来」『季刊連句』創刊号)。このメカニズムを確保するぞ!
  24時間開放なので同じ前句に何人かの付けがかち合う時は早いものがちにする。01秒まで機械が表示する。惜しい句も落ちるけれど、その見物も面白いものだ。
 人の出入りはまだ増え、じきに一日に百発言近く、二十句からときに三十句はすすむ。ということは落ちた句も相当ある。ぐんぐん流れる連句を整理し記録するために、小町さんはじめ最初からの主なメンバー数人がスタッフになってくれた。自分たちも句を付け、ともに連句の流れを作り最終的な捌きをすることになる。
   5115 ゆったりとクルージングの独り旅      蕗
   5116  女神の笑みは自由たたえて       小晴
   5117 戦いの好きな男を産んだ悔い        麦   
               *KUSARIのルール

 この鎖連句に「KUSARI」と名を付けた。かくて付けと転じの原則による現代連句の追究! と言いたいが、実際の付け句では季語の運用など、具体的な部分での基本的合意も必要だ。私たちが学んできた伝統式目、作法の数々は、この原則を共同制作で実現するために、歴史的に積み重ねられたノウハウなのだと改めて思う。それらを土台に整理して、よりよい連句をするアドバイスとして「Q&A」というページを添えた。
 ただし、今度の連句は、百韻や歌仙などのような定数作品ではない。内部構造がない。だからそれに起因する縛りはいらないだろう。
 ここでは付けと転じの三句のわたりを根本原則としたから打越の障りには厳しい。でも素材、季節などの「句数」についての制約はやめた。
 かなり自由になった感触である。春や秋の一句捨てもよし。前句にふさわしい時、流れに必要と感じられるとき秋を付ける。月、花の座も決めない。素秋よし。そうなると月をいれて秋三句したりするのが古式で優雅に見えたりもするからおもしろい。花の短句が出やすくなった。
  やはり八月は夏の句が多いし、冬は冬の句が多いが、年間通しての四季のバランスはとれているようだ。季移りもちょいちょい出る。常識的に判断して矛盾しなければいい。季戻りも「矛盾なければ」可。市販されている季語集の分類にただ従うのでなく付け合いの内容を、今の感覚で考え柔軟に判断する。つまるところは座の連衆に納得されればよいのだが、さてネット連衆は幅広い。この社会的文芸、連句の現世でのありように、以後私たちはさまざまな局面で悩み、議論し、その後もこのページは細部を書き直している。           
                 *KUSARI連句の連衆心
 ネット連句のよさは、当然ながら参加自由なことだ。付けたい句に付ける。付けたくない人はパソコンをしめる。ひっそり見物だけでもよし。たった一句付けて去る人もいる。でも一句でも付けたらその人はこの連句を繋いだ仲間、連衆だと私たちは思っている。
   9810 じゃがいもに爵位があって茹でられる   雪兎
   9811  つぶしてしまえば自由平等。      みのり
 「あ、うまい!」登場する作者たちの名は句の個性によって互いの記憶に刻まれる。しばらく留守だった人が現れると「久しぶり」という挨拶もある。実際懐かしいのだ。
 新入りさんがハマってしまい毎日何度も来ると先輩が「ビョーキですよ。KUSARI熱です」とからかう。常連はほぼ罹病経験者だ。でも熱が高すぎると家事や仕事に差し支える。やがてそれぞれの生活に応じ(毎日、週一、年一とか)適度なペースになる。キリ番で賦物百句をするとき旧常連が何年ぶりかに現れるのも、いとをかしである。
 朝パソコンを開く。「おはようございまーす。櫨の葉がすっかり散りました」と言いながら、ゆうべに続く句が付く。首都圏、中部地方の紅葉の話題に、札幌は平均気温1度で凍るぼやき。、カリフォルニアは暑さで黄色にけぶる山のたより。小町さんはこちらの午前二時に「おはようございます。出勤します」と出かけ、真夜中組は「いってらっしゃい。みなさんおやすみなさい」と句を付ける。ここは24時間営業の街角の喫茶店かな。いやオープンカフェだよ。裏通り、いや表通りで、実と虚をないまぜに広い世の中に開いている。
 そして私たちはじきに生身で会いたくなった。ネットの情報は虚で終わらず現実世界をつなぐ力をもっている。小町さん来日を最初とする年1回くらいのオフ会。秋の大学祭での連句まつり。連句の全国大会。かなりのメンバーが顔を合わせる。「ええっ、あなた男性? てっきり女性かと」という仰天があっても、話せばやがて確かにあの句の作者のイメージが見えてくる。句は人なり。KUSARIでの連衆心は現実にも裏打ちされてゆく。
 連句初心者には、インターネットだけでなく各自の地域での連句の座の体験を勧める。付けと転じの原則さえもっていればどこでも通用する。連句とは結社をこえて遊べるジャンルなのだから。でも、老婆心でした。すでにここには連句人も参入している。連衆はとっくにあちこちで横につながり、ベテラン中心に勉強してネットで歌仙を巻いたり連句界で活躍していた。国民文化祭でも毎年そんな連衆を眩しく確認する。ネット連句は一般社会と連句界をつなぐドアのひとつかもしれない。
                  *KUSARI連句の途中性
 スタート三年めにKUSARIは「平成連句競詠」(俳諧寒菊堂)のインターネット連句賞を頂いた。「不特定多数の人が付けるという連句文芸の社交的性格をもつ」「連句人、超初心者もわけへだてなくネットならではの座を構成している」「日々の思い現代の世相がリアルタイムに映し出され」「インターネットの匿名性の海に漂いながら対話の詩を実現している」との評は過分であるが連衆の励みとなった。
 勿論出品したのは長いKUSARIのごく一部分である。
   12129 風はらみヤスクニ詣で乱か治か   たつみ
   12130  足踏んだ奴決して忘れず     わび太
に始まる12229までの百句を切り取った。面白いことにその「途中性」も評価されていた。そう、KUSARIの特性は途中性だ。1番目のブラックバスの句作りに発句の意識はなく、遙かな過去にある。で、今のところ私たちには挙句の意識もない。目前の画面に映る十数句の部分を見て、その尻尾の句に、日々ただただ付けてゆく。
 笑ってしまうのは、これこそ正岡子規が連俳を弾劾した主な理由だから。
 「発句は文学なり。連俳は文学に非ず、故に論ぜざるのみ」
 「ある人曰く連俳に貴ぶところは変化なり。変化は則ち文学以外の分子なりーー」(芭蕉雑談) 
 KUSARIは発句以外の部分の転じて流れる変化によって存在価値を主張している。そして「文台引きおろせばすなはち反古なり」(三冊子)でいう即吟付け句のリアルタイムの面白さ。それは連歌・連句だけのもつ特性である。
  「連歌は思ひよらぬ方へ移りもてゆくこそ興ある物なれ」(宗牧教書)
に身を託して流れるわれら現代人。
   26210  テーブルの上滑る絵葉書       カンちゃん
   26211 吹く風に秋が近いと知らされて     桂 
   26212  やさしく馬を洗う少年          小晴 

 途中でも面白いんですよ! このノリで03年秋には「とよた連句まつり」の特別募吟で「すてきな三句」をしてみた。連句作品の三句のわたりのひき抜きの鑑賞である。古来珍しくはないが、これも一般社会への連句文体発信のつもりだった。全国連句人が多様な形式の作品から抜いた1169組の三句の花束はさすがに質が高かった。連句界の先達諸氏の選における連句観も勉強になった。雑務に追われた主催者側の役得である。
 KUSARIはかくて途中を生きてゆく。そう、人生みたいに。
   44378  万博日和リニモに乗って        ばらずし
   44379 あてもなく引っ越してゆく狸たち     ザリ
   44380  私あなたの何だったのか        ひわ
                  *十一年目の九万番への旅。

 今年で十一年目。この連句は実にさまざまな人と、出会い、別れ、句をつないで増殖し、、過去から未来へ時間軸に沿って伸び、2010年の一月現在、九万番へと迫っている。
  これまで参加のハンドルネームは五百人近くが記録されている。最近付け句千句達成を宣言した猛者もいる。一日に平均二十数人が運営上は適度なところだ。キリ番のイベントの賦し物百句だと一日六十番もいって盛り上がるが、普段は三十人以上集中すると、ぶつかり合って句もドボン(後から付けた人の句が落ちること)が多くなりお互いの人格も見えなくなり、連衆心が薄れるのではないか。
 この十年ほぼ皆勤の私はじめスタッフと常連さんたちは長い旅をしてきたように感じている。連衆は微妙に替わってきている。ちょうど旅でしばらく同行したり、離れてまた会ったりするように一座は流れている。不思議に新しいメンバーがいつもいる。そのハイの熱と、新鮮な個性が、古い常連のまじった流れに刺激を与える。そして何より世の中は日々変っていく。それでタネが尽きることなくKUSARIは続いてきたのだと私は観察している。
    53856 荒れ狂う海の色したタイ結ぶ      暢
    53857  近くて遠い半島の国          あづさ 
    53858 まだ熱が38度で動けない        氷心     
 五万句に達したときに新聞の取材がきた。「西鶴は独吟一日二万五千句ですから数で誇るつもりはないんです」と言ったら「しかし記録を読んで見るとこれは庶民が毎日24時間の思いを句にしてるんですよ。共同でつくる庶民史じゃないですか」記者氏は毎年度の大ニュースを資料として持参し「みんな句になってましたよ」と言った。
 社会意識の程度が測られそうで、プレッシャーだがこれは連衆に任せるよりほかはない。
    62927 研ぎたてでキャベツタマネギ真二つ  道草
    62928  スパッカナポリに響く靴音        風
    62929 旧市街世界遺産に指定され      ひわ

 連句には連衆の感性、生き方、哲学があらわれる。日常がふだんは平凡であったりいきいきしたりするように、KUSARIの流れもときにスムーズ、ときに停滞、そしてときに感動がある。仲間のいる部屋にきてのコミュニケーションは「いま共に生き互いの一句を大事にする」ことに尽きる。その結果としてこの世をつづる庶民詩になりきれるかは私たちしだいである。
 今朝もパソコンを開く。真夜中一時に付けていた人がいる。それに六時の早起きさんが、もう付けている。
1月25日(月) 01時27分16秒)
  88250 お守りをふところに抱く受験生    氷心
1月25日(月) 06時40分56秒)
  88251  制服の子で車内満員    キリマンジャロ      
ああ、いまごろそうだろうなと思いを馳せる。で、次の作者。ご出勤前にまあ。
1月25日(月) 07時47分06秒
  88252  朝焼けの富士の大きな影動く    ふさ子
 現実から脳をぐっと外へ向けようとした動きを感じる。これが連句空間。さてKUSARI、お前はどこまでいくのか?
とりあえず今日が始まる。 
                                                  (ころも連句会・webめぎつね座)
*新聞付け句引用は中日新聞・東京新聞より。その他の作品はインターネット「矢崎藍の連句わーるど」より。


「連句がつなぐアジアの若者」  
     共同作業、韓・日と深まる交流         矢崎藍
  (朝日新聞名古屋本社版   2003、4、9 夕刊 )


 表現の授業で学生たちに連句を作らせて十年になる。合言葉は「自分たちのいまを表現しよう!」。詩や短歌、俳句に縁のない学生も日常語を使って五七五句、七七句に指を折る。三年前から、韓国大田市の又松大学から短期留学生が、毎年十数人参加するようになった。日本語専攻で会話はほぼ通じる。 
   *           *
 昨秋後期開講の授業。付け句はいつも軽い口語の前句で始める。「知り合ってこれからふたりどうなるの」という五七五句に、場面を想像して七七句を付けてね!
 一時間後に終電が来る             久美
  まあとりあえずチューでもしとく?        すじ

 日本人学生がすぐ付けて教室は大笑い。お互い見せ合って相談したり、辞書をひいて言葉探し。で、留学生も。
 永遠の恋芽を育てよう             朴汎桓
 私の胸にコスモスの風             鄭文成
 あ、すてき。友人の句に共感し、おもしろがるのが、昔は俳諧連歌といった庶民の詩、連句の第一歩だ。このあと構内散歩で俳句(発句)作り、推敲と、実作を重ねる。毎時間、全員の句を公開して楽しむ。七回目の授業で三、四人の小グループにわけて机を囲み(これが座)、いよいよ連句を巻く。つまり五七五―七七―五七五―七七とつなげる作品を作る。 
 たとえばつぎの座は女子学生二人と男子留学生ひとりの組合わせ。最初の句が発句である。
1秋雨の窓に滴が文字を書く           韓雄煕
 学生寮の自室風景とか。作者の初案は「曇ってる窓」だったが、発句なので秋の季語が必要だ。三人で20分も相談し「秋雨」の案が出て決定。こういう話し合いが、座でつくる連句の特色だ。さて次は七七句。
2 夜食を食べて受験勉強              小泉
 韓さんはこの付け句が発句にぴったりだという。「いま日本語検定試験の勉強中で、夜食のラーメンを食べない日はありません」
 次の人が句を出す。

3夢は過ぎ約束の場所駈けて ゆく        彩火
 ロマンチックに展開した。









共同作業で連句を作る韓国人留学生の韓さん(中央)と日本人学生 
このあと六句までつなぎ各座が短い連句作品を完成させる。それまで教室にたちこめていた創作エネルギーの熱気がほっと達成感に満ちる。

 紅葉や柿が秋という程度の季節感は韓国の学生もほぼ共通だ。しかし「石焼芋屋の声」なんて句では、日本の学生が朗々と真似して説明する。連句では前の句がわからないと次の句がつくれませんからね。
 恋句も必ず作るのが連句の伝統で、どの座も盛り上がる。日韓付け合い。

  落葉踏み二人静かに何思う          めぐちん
 サランヘかチョワヘどちら がいいの     ヘラナア

 韓国語でサランヘは「愛してる」、チョアヘは食べ物などにもいう「好き」だという。ハングル表記をまぜる句は、毎年両国の学生に人気がある。
   *           *
連句を通じ、中国とも交流が始まっている。昨年八月には鄭民欽・北京工業大学教授を招き、、私の勤務校で「日中連句研究会」を開催した。日本語と中国語で翻訳をしながら連句を巻いたのだ。 日中両国の俳句連句研究者と、地域の連句実作者にまじり、学生たちも参加した。
 「年代も国籍も職業も色々な人が」「ほとんど初対面ばかりで連句!」「目の前で自分の句が中国語になり、漢字の塊になる!」という過激な体験だったようだ。
 日中の学生の付け合いを紹介しよう。

 お地蔵様に赤いエプロン            谷淑恵         
 路辺百花開 春意□然来            呉秀蓮
         央皿
 谷さんは瀬戸市の線路際にあるお地蔵様を句にしたのだそうだが、留学生の呉秀蓮さんの句が付いたとたんひろびろと目の前が開けた。それは彼女が前年まで馬で通学していた内蒙古の草原の春なのだ。座の仲間が彼女の話に耳を傾け、その故郷を思い浮かべる。
 ところで呉秀蓮さんは、日本語で五七五句にあたる付け句を中国詩の定型の五字ー五字で書いている。
 この研究会(会長・近藤正成蹊大教授)は2001年北京大学日中比較詩歌研究会を機縁に発足した。実作を土台にして日中二カ国語連句の問題を討論している。中国語で連句をつくる際の、句の字数も実験中なのだ。
 日本語しかできない私が、連句という文芸のおかげで、日本語と韓国語、中国語との思わぬ接点を垣間見ている。
 中国にも聯句という複数の作者が付ける伝統詩がある。韓国の時調など、アジアの民族詩の源流には男女のかけあいうたが指摘されている。  いま、付け句をし合った若い世代が、未来のアジア文化にどんな百花を咲かせてくれるか。
――
え、連句という人と

人をつなぐ座の文芸、いわば人間関係文芸の21世紀に、私はホットな期待をかけているのです。
  
矢崎藍 桜花学園大学教授
やざき・あい 愛知県豊田市在住。お茶の水女子大卒。作家。著書に『ああ!子育て戦争』(学陽書房)、『連句恋々』(筑摩書房)、『おしゃべり連句講座』(NHK出版)など。連句協会理事。


■ めぎつねのゆめまぼろし ――地球連句の未来のことーー    矢崎藍  (連句協会報 222号)2001、3,26 


 *鷹柱見つ
おととしあたりから私はなぜかめぎつね。三河の野山を走っている。茂った欅の幹をこんこんと叩くと。北摂津の山猫庵にFAXが送れる。片山多迦夫氏の油断ならない俳諧に懸命に応戦していたら「実は猫蓑庵にもFAXがあるんだよ」と南柏の東明雅氏もご登場。(む。二十年来の師であるぞ)昨年は三吟を三度しぼられてしまった。
   名にし負ふ鷹柱見ついらご崎   多迦夫
     碑ひとつ小春日のなか       藍
   ひょうひょうと能管吹くは誰ならん 明雅

                     (歌仙「鷹柱の巻」より)
 鷹柱は私も数年前に伊良湖岬のさしばの渡りで一度見ることができた。南の海上、曙の光の中に鷹が、まさに蚊柱のように群れていた。双眼鏡で見ても小さくはるか彼方だけれど、上昇気流に乗り羽ばたく鷹たちは豪快に風とたわむれているにちがいなく、浜べにいる私にはそれは天上の遊びに見えた。生き物はなぜか遊ぶ。生きているのを無心に確認したいのだ。だから遊ぶ。命いっぱいにね。連句もーーー。ほら笛が聞こえる。
 ところでこの伝統歌仙「鷹柱」の巻も、両俳諧師の白いお鬚も、インターネットめぎつね座のホームページで公開されてる世の中である。カタカタカタカタ(キーを叩く音)。
      *地球連句シンポジューム
昨年は十月に国士舘大学で「地球連句シンポジューム」があり、めぎつねも、提言者とパネリストのお役目を勤めかたがた、子狐―じゃなくゼミ学生たちを連れて馳せ参じた。
 21世紀社会は情報と交通の進歩により、政治、経済、文化全ての面で人的、物的交流にさらされている。百年の科学と社会の激動の歴史を経て。日常の衣食住、生活様式が変る。日本語をふくめローカルな伝統が破壊されるかもしれない。しかしだからこそまた、極東の島の実にローカルな連句(俳諧の連歌)という文化が地球上の別の言語をもつ人々にも愛され、伝わる可能性をもつ。
 幸運なのは俳句がHAIKUとして先行し世界に広まっていることだ。この日の講師であるイオン・コドレスク氏、ビル・ヒギンソン氏はそれぞれルーマニア、アメリカのハイク協会の会長経験者である。何より自然と人事の小さなひとかけらをいとしむ短詩の価値が受け入れられている。そこからの芭蕉研究も連句への関心になっているようだ。そして、この日コドレスクさんが「コラボレイション」という単語で語ったように、個ではなく共同で創作する座の存在を、世界の詩への新しい提案の光と考える人がいる。
しかし他言語によるHAIKUは日本語の五七五の韻律を多くは三行詩にした。連句も欧米語では五七五句を三行詩、七七句を二行詩として広がりつつある。この日の講師の許耀明氏は中国語で五七五句、七七句に対応する漢字の文字数を工夫中であるという。HAIKUは俳句なのか?という疑問と同じくRENKUは連句かという問いは、よかれあしかれすでに地球化の問題として発進している。
 *転じを伝える
 地球連句――という言葉を大げさと感じる人もいるかもしれない。でも、92年に私は国際連句協会の一ヶ月に亘る「北米連句ツアー」に参加した。出掛ける前は、まさかアメリカで連句なんてと思っていた。だが主催者の近藤蕉肝、クリス夫妻の通訳、翻訳により、私たちはのべ二百三十人余を連衆として二十六巻の連句を巻いて帰った。
 その旅なかばのサンタフェの座で、当然ながら発句と脇句はサンタフェの風物ではじめた。しかし連衆はバングラデシュ、アメリカ、イギリス、そして日本と、国籍も肌の色もいろいろであった。机を囲み、それぞれの国の季節について語り合っているとき、私はふっと自分はいまサンタフェで連句をしているのではなく、「地球の上で」連句をしているのだと感じたのだった。
 第三から当座を離れ、自由に広がる連句世界。そこでの交流が言語をこえたというのは実感だった。通訳があれば、わからない言葉、内容は説明しあえる。互いの文化の違いを認め、好奇心をもってそれを想像し、受け入れ、理解する努力、そのどこかに人間としての共感を見いだそうとする努力。それが連句を創る座にはある。あれから8年。世の中に必要なのはまさにその努力ではないか。
 国際連句の歴史の中で、その旅は北米の多くのハイク詩人に転じの概念を伝えたのも大きな成果だった。当時すでにハイク詩人たちの口から「ニオイヅケ」「ヒビキノツケ」などという言葉も出たし、芭蕉の付け句を(英語で)つぶやく人もいた。他人の句に「付ける」ことで共感し、ある詩情を創り出すことは理解されていた。しかし「ウチコシ句からは転じる」という連句のメカニズムについてはヒギンソンさんなど少数の人以外は初めて聞き、経験したようだった。
「付け句は前句にのみ付いて、打越の句とは全く縁がない。このような関係を何回も 何十回も繰り返して一巻の作品が創り出される。このような詩制作の手法はどこの国の文芸にも見られない、私どもの先祖が新しく創り出した独自のものである。究極においては、この独自の運動メカニズムさえ失わなければ、その一巻がどのような形式をとろうとも、どのような式目を採用しようとも、私はそれを連句と認めようと思う」(東明雅「連句の復活とその将来」季刊連句創刊号 S58年)
 今日まで国際連句協会や今回シンポジュームの主催者福田真久先生その他多くの連句人の実践により、欧米アジアに連句が拡がり、外国人だけの連句作品も作られてゆくとき、変容淘汰されるものがあっても、このメカニズムだけは失われてはならない。
 ユニークだから、伝統だから言うのではない。それが連句だからだ。前句に付けるときにウチコシを意識しないことはありえない。前句に共感しつつ、前二句の既に作った世界を続けまいとする主張。新しいもの、違うものへの好奇心。多様な角度から思考する訓練。かさねていうが、連句のこの本質じたいが、これからの世界の人たちが生きるのに必要な価値観を内包しているからだ。
 シンポジューム後の舞台ではゼミ学生(桜花学園大学)たちと、国士舘大学生と、ロシア、中国の留学生が二巻の連句を発表した。
     栗むいて日露連句をはじめけり   美香
       クロワッサンの月がほんのり イリーナ
     珊瑚礁のぞけば魚が群なして    利恵
       ふたりの恋はきっとはてない   英里

                          (連句14「日露連句の巻」より)
 前日彼らは豪徳寺駅で買った茹でたてほかほかの栗を食べつつ連句を巻いたのだった。
 *つぎの世代へ
 日本の文化も大きく変容しつつある。若者たちを連衆にして、ひとりの年配の連句人が捌いたら、彼らの興味、持っている単語は外国文化ほど違ってみえるかもしれない。
 私自身は学生たちに連句を「国語表現」の授業で実作させて八年になる。「連句を伝える」のが目的ではない。
 学生にこう呼びかける。「連句(付け句)は友達どうしで言葉を工夫しあうので、言葉の表現を磨くとてもよい手段です。自分たちの今の生活、今の思いを、自分たちの言葉で表現しよう。おもしろい自分、すてきな自分を見つけよう。季語もとりこみボキャブラリーを広げよう」 毎年たいへん盛り上がる。連句は彼らの表現の型式として合っている。「授業で友達と恋愛の話なんて」――実はそれが一番話したいテーマだった。
 座はそれまでの友人との関係を思いがけぬほどに深め、新しい人間関係を作る。昨年、韓国の留学生(又松大学校日本語学科生)を各座にいれた。日韓学生の交流に非常に有効とわかり今年は留学生必修指定授業になった。
 インターネット時代で書き言葉が話し言葉に侵略されているという。だからこそ言葉の表現をリズムを磨くべきだ。まさに「俗語を正す」連句の出番じゃないか。高校の国語教育でも「伝え合う」をキーワードに連句授業実践記録が発表されているのは頼もしい。
 学生たちにとって季語とは、たいていは語彙を増やす便利な存在である。また「鰯雲」という単語を一度使えば、空を見る目、ひいては自然の移ろいを見る目が変わる。海外で季語が歓迎されるのと同じように、季語は人の心を自然界へ誘うドアの働きをする。しかし、月が秋? ぶらんこが春?「季語集に出てるから」「伝統文学が積み重ねた季感である」の押しつけでは通らない。「自分たちの表現」を目的とする以上、いまの彼らに感覚的にも納得できる、説明が要る。
 一昨年インターネットホームページを開いた。電子掲示板(BBS)で、1本の連句の鎖が自然発生し、えんえんと続いている。24時間空いている部屋に発言書き込みは一日に80ないし100件くらい、句の治定は15句から20句。2年で7000番をこえる長い長い連句である。終わりを決めてないのだから構成がない。とにかく付けと転じを死守している実験的連句である。俳句連句経験者ではない一般の人がとびこんでくることも多い。夏には夏の句が多くなる。これは実感だろう。観音開きになったり三句がらみになっているとスタッフが却下したりする。しかし付いているか転じているかの判断はときに難しい。帽子と子どもは同字ウチコシか?。インターネット画面で歌仙のように字面を気にする必要があるだろうか。国際連句が登場してから「帽子と子供を英語に訳せばまったくウチコシじゃない」という発言も出る。
いま、連句は一般社会へ、外国へと自らをさらけだしつつある。式目、作法などの伝統が、詩であるためにその普遍性をいちいち問われるときがきているようだ。
鎖連句では「地球上のどこかで生きているじぶんたちの暮らしを話しながら、日々を大事に生きるようにこつこつと付けて転じていこう」を合言葉にして楽しんでいる。
 ちょっとパソコンを開けてみましょうか。
  7776   菊人形の妖艶な寺      舌打ち猟師
  7777  くのいちの影が走って銀杏散る    雪兎
  7778   芭蕉驚く連句の鎖         タマ助
  7779 反故とやら拾い集めてリサイクル  あづさ 
(KUSARI 2001年1月16日午後2時ころ)
  誰も彼もが連句をする必要はない。しかし連句は歴史的に庶民が表現を獲得し、そのエネルギーを土台にうち立てた文芸である。
「上へ上へとひたすらに上昇を志向する詩的精神と、現実の地平にどこまでも踏みとどまろうとする下降化のダイナミズムは、わが国の詩史上たえて類をみない、すぐれて特殊な言葉の世界をいとなみいだした。芭蕉の俳諧がすなわちそれである」(『ことばの内なる芭蕉』乾裕幸)
  
       露の砂漠に眠るキャラバン      雅
      贈られしマルメロ匂ふ旅鞄       迦
        髪をゆすれば男七人         藍

                              (歌仙「鷹柱」の巻より)
 連句の未来?それに生涯をかける魂たちが続くなら続くだろう。
おい、めぎつね、どーする? コン (ころも連句会)
      「矢崎藍の連句わーるど」http://village.infoweb.ne.jp/~megitune/

「連句ーー流動する創造空間」                           「建築雑誌 」2000年3月号(発行 建築学会)
矢崎藍(作家・桜花学園大学教授)
やざきあい
東京生まれ お茶の水女子大学卒業 著書に「女と男のいる古典の世界」「みもこがれつつーー物語百人一首」「平成付け句交差点」「連句恋々」「おしゃべり連句講座」など多数。連句協会理事 

          *付けと転じの鎖
 この国の歴史が千年はぐくんできた付け合い文芸は、近代にほぼ衰退したといわれながら、ここ半世紀で現代連句としてよみがえった。リアルタイムのインターネットというメディアには相性がよい。私が昨年開設したホームページの掲示板上では、不特定多数が句を付けてゆく鎖連句が1本、えんえんとつながりはじめた。
 167 リストラに若年退職肩叩き          小町
 168  いち、にっ、さん、し、と続く人生     おはぎ 
 169 終了の合図鳴ってる洗濯機         聖子
 170 濃すぎるかしらけさの口紅          藍

 いきいきと各世代の生活がうつされ、1日に10句から20句はすすむので、のぞくだけの観客もかなり多い。(HPのカウンターは1日に80から100あがる)もちろんメンバーは全国、いや、カリフォルニア州から真夜中の書き込みもある。口語体でまったく自由に見えるが、参加者にはただの連想ではなく「連句」であることの確保を要求している。基本ルールは、 @575句と77句を交互に付けること。A前の句と(なんらかの意味で)つながりがあること。そしてもうひとつ重要なのがB前の前の句(打越句)から転じる(三句目の転じ)というルールである。たとえば、
 224 別れる理由できてすっきり           藍
 225明日から晴れて私は自由の身         杏

のあとに、誰かが
  (226 三行半は女から書く)  
と付けたらどうか。スタッフからストップがかかる。別れる話が三句続いている。これは「三句がらみ」といってよくない。 付け句(226)は前句に付きながら打越の別れの話から意識して離れなくてはいけない。実際には次の句は
  (225明日から晴れて私は自由の身 )
 226 狂ったように蝉が鳴き出す           聖子

となっている。打越句と関係なくここには明日から自由の身になる人がいて、急に蝉が鳴き出す。「狂ったように」は心象風景でもある。この蝉の句が付いたとたんに、225句での人は蝉の声を、立ちつくして聞く姿として現れる。付け句は前の句のそれまでもっていた意味や色合いを変質させる。これが「転じ」のおもしろさである。
 つぎのような3句も「観音開き」といって忌避される。
  241縁側に足跡光るかたつむり            杏
  242 刑事稼業でつい鋭い目             藍
  (243 玄関にことりと音をさせて猫)
 真ん中の刑事は、かたつむりの光る筋を見て反応しているが、同時に猫の物音にも反応している。刑事の句と前後の句は関係が同じーーつまり観音様の厨子の扉のように対称形になっている。縁側―玄関(建物)、蝸牛―猫(生類)と単語も同種で呼応している。
 こういう繰り返しを「輪廻」ともいう。陥ってはならぬ繰り返しの煉獄! とはおおげさだが。ここは実際にはこう付いた。
  (241縁側に足跡光るかたつむり)
  (242 刑事稼業でつい鋭い目 )
 243アンパンを缶コーヒーで流しこみ        おはぎ

 243は刑事の日常の多忙な部分で前句に付き、蝸牛とは関係ない。そこで次には
   (アンパンを缶コーヒーで流しこみ)
 244 青春キップ行けるとこまで             聖子
と、刑事とはまったく違う主人公の、別の物語が開けた。そう、こうして連句は転じて前進する。
 対称形は日本人の伝統的美意識では評価が低い。連句の角度からいえば、とにかく停滞と反復はつまらない。一句が付いた瞬間にこれまでの世界が変わる新鮮さ、流動する空間が魅力である。
 かくて連句はどの部分の3句をとっても前句とは付き、打越句とは関係なく、2句ずつの場面がずれてゆく。おそらく世界中にこういう文体をもつ文芸はないので、そこに連句のユニークさがあるし、同時にこのジャンルが近代社会で理解されず苦渋の歴史をたどったゆえんもある。
 4324 返り血浴びた君は綺麗で          かっち
 4325ヴァルハラへ帰ろうワルキューレとともに  カンちゃん
 4326 幸も不幸も決断の先               彩葉

 現時点の6月なかばに4300番をこえ増殖している鎖連句は、付けと転じが一般の人にどのくらい共鳴されるものなのか、私のちょっとした公開実験でもある。
     *歌仙の構成美と重層空間
「歌仙は三十六歩。一歩も後に帰る心なし、行くにしたがひ心の改まるは、ただ先へゆく心なればなり」(三冊子)は松尾芭蕉の言である。付けと転じのメカニズムをもつ連句の本質と精神を言い切っている。
 伝統連句(俳諧連歌略して俳諧)は連歌に倣い百韻、(100句)五十韻(50句)歌仙(36句)などのような定数連句が主体である。文体は流れつつも、完結した長さの作品として読者をもつ。必然的に内部に構成を追究し、人事と四季自然を一巻の宇宙に凝縮させる。中で歌仙作品を芸術として昇華させたのが芭蕉だ。その蕉風俳諧の精神と方法論、技法は、口伝等により継承され、いまも現代連句の基礎となっている。
現代に俳諧の伝統を継承し俳諧師の呼称を自他ともに許す存在は少ない。この春、蕉風伊勢派の猫蓑庵東明雅氏(信州大学名誉教授)と同じく伊勢派の先達、山猫庵片山多迦夫氏の両俳諧師と三吟歌仙を巻く機会を得た。この世界は四十五十は鼻たれ小僧であり、私もまだその際にいるので、いわば「胸を借りた」のである。
ここでは付け心(二句の付け合いの物語的解釈)とともに、付け味(二句の感性的な触発、融合)が重視される。いわゆる匂い、響き、うつりなどの付けの分析をこえ、無限の付けの美、詩情がありうる。
もっとも、俳諧の本義は、おどけ、たわむれ、演技、ユーモアなど解釈される。連句はいつも底に遊び心をもっている。
両俳諧師も南柏「猫蓑庵」(当然猿蓑のもじりである)北摂「山猫庵」(何か獰猛!)と庵号を名乗り、実は私も(まだ若いので! 庵とこそいわないが)参州めぎつねを称しているぞ。コン。
その歌仙「風眩し」の巻は早春の風が光るころ、東・西・中部に住む三者をFAXでつなぎ、かろやかにはじまった。
1 スニーカー風が眩しくなりにけり    明雅
2   ミモザたわわに学園の坂        藍
3  しゃぼん玉弾けし顔を拭ふらん      迦
 全36句は歌仙を書き留める懐紙式で、初折表(6句)裏(12句)名残表(12句)裏(6句)のいわば4頁を、雅楽に因み、序、破一段、破二段、急という基本的な流れとし、その上で三者がエネルギーバランスをとりながら展開してゆく。
 具体的にはひとりが付け句案を5句程送り、次の人がそこから1句を選び治定し、それに5句の案を付けて次へ送りーーを繰り返す。つまり、このようなFAXが「北摂山猫庵」発「めぎつね殿」宛でくる。
19 隊商は落日追ひて絹の道    雅
     試 詠         迦
  ・真紅のワイン翳す乾杯
  ・ロゼのワインは十樽もある
  ・捕虫瓶には蠍三匹
  ・確かに丸き水の惑星
  ・砂塵に堪ゆる六字名号 」

どれを選ぼう。付け心も付け味も違う。隊商の夜の乾杯か,積み荷のワインか、捕虫瓶の毒のある蠍か。砂塵の中の南無阿弥陀仏か。私は4つめの「水の惑星」を選んだ。それは前句の絹の道を過去にし、砂漠の丸い地平線さえ極小化して、宇宙の視点から地球を見る。これに数句を案じる!
  20 確かに丸き水の惑星      迦
   ・ふと消えしインターネットの交信者   
   ・キー叩く無辺の自由わがものに
   ・朱鷺一羽フェンスに首をさしのべて
   ・揺り篭とブランドバッグと銃声と
   ・ご不要の肺を少うし下さいな

 猫簑庵選択により「キー叩く」が治定されたときは「やったぜ」と思う。不遜なネット社会批判が通じたか。しかし俳諧師とはしたたかなもの。すぐ、いなされる。
21キー叩く無辺の自由わがものに   藍
22 頭痛肩凝り魔女の一撃         雅
  
 魔女の一撃は腰痛。確かにパソコン叩きは健康によくないわい。
――と36句解説するには紙数が足りない。こうして三者が選択と付け句を繰り返し作り上げたこの巻の破二段、クライマックスの部分を少し報告する。
25潮騒の胸にとどろく午下り        雅
26 男いっぴき嫉妬などせず         迦

男いっぴきを選んだのは私である。内容も面白いが次を付ける者としては、切っ先を胸元につきつけられたような緊張感がある。この迫力に負けてはいけない。私案。
   ・抱きしめて背徳の香の匂ひたつ    
   ・家を出るノラなりガスの火を止めて
   ・紅芙蓉キスもじょうずになりまして
   ・誰をのせ赤いシビック発進し
   ・死にたいと電話してゐる白桔梗

 ひそかに期待していた白桔梗の句が治定された。白い桔梗は門のわきにひそっと咲く。昭和の時代を、肩意地張った男の陰で生きてきて、昨今の自由な女たちを見れば、愚痴のひとつもこぼしたくなるような、和服姿の楚々とした女性である。しかしこれに次の句が付いたときは、ぞくっとした。
27死にたいと電話してゐる白桔梗  藍
28 人の世の秋 夢の浮橋      雅

夢の浮橋といえば『源氏物語』の最後の巻名である。薫中将との恋にやぶれ、暗い河に身を投げた浮舟の女のはかない物語。54帖こそはさまざまざまな女のあはれをうかべた夢の浮橋である。しかもその夢の浮橋を200年後に藤原定家が「春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空」と濃密な情緒美にしあげた。
時はすぎ現代の秋になっても、その千年の夢の浮橋は、とだえとだえつ、電話で「もう死にたいの」と言っている白桔梗のような女のなかにただよっている。
そしてこの春の情緒を秋にひきこんだ手法である。「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べを秋と何思ひけむ」という後鳥羽院の歌。そのまた250年忌奉納連歌での宗祇の発句「雪ながら山もと霞む夕べかな」も思い出される。――解説してしまうと手のこんだ技法に見えてしまうのだが、白桔梗の女に付いた「人の世の秋夢の浮橋」のたった一句の奥には日本の文学の美意識の歴史を重層的にうけとめざるをえない。かくてつぎは月の座
(人の世の秋 夢の浮橋    雅)
29雲走り今宵の玉兎奔放に     迦

白桔梗の弱々しさから転じ、大空の気配は急である。これはむしろ前句から定家の幽玄を意識して付けている。玉兎という月の異名のおもしろいこと。兎が跳ねているような、月が踊っているような。
季語の存在にもいえることだが、和歌、連歌、俳諧の歴史が集積してきた語彙を駆使し、重層的に二句の空間(付け合い)を作る―――まさに古典から受け継がれてきた美意識である。
次に付ける私は兎が奔放に跳ねる夜空をそのまま現代の幻想的な空としてみた。月下には大都市が広がる。
  ( 雲走り今宵の玉兎奔放に)
30 ビルの頂上シャベルカー居る  藍

       *句の多義性と人の多様性
前句に多数の句が付くのも、転じを工夫できるのも、短い一句に多義性があるからである。しかも一句の表現している空間の解釈は読む者によって違う。その違いが新しい付けによる新しい空間を生み、未来への選択が行われる。
不思議な文芸行動といえないこともない。しかし考えてみれば私たちは日常をそういう空間に生きている。人生は一刻もとどまりはしない。ユニークどころかあたりまえすぎる、プリミティブな文芸ではないか。
連句はこれまで生身の人間が集まり顔を突き合わせる「座」でおこなわれてきたし、現在も多くの結社、グループが会合や大会を開いている。私の講義でも毎年多数の学生が座に分かれ短い型式の連句を巻く。比較文化学科なので、留学生をいれた国際連句にも挑戦する。創作の集中力がぶつかりあう現場には、一種のハイな空間が出現する。彼らは「すごい体験」という。実は国際連句協会も数年前から活動をひろげ、連句は世界に足をふみだそうとしている。言語、思想、習慣の違いは、壁である。しかし、同時に互いの好奇心をかきたてる火種でもある。世界は確実に違いを認めつつ共感を探る時代にはいっている。
インターネット連句は未知の人との、言葉のみによる、虚構のつきあいだ。おそらく私たちはバーチャルに堪え、未来を生きるのである。インターネットの鎖連句には今日もまた誰かが、「はじめまして」と挨拶して、句を付けている。
4454 なんじゃもんじゃの枝が繁って           蕗
4455 風さやか私あなたの何なのよ       ラプソディー
4456 蜜月終わる人と原発                白石
4457渓流が奏でる時の子守唄              かっち

 私も付けよう。
4458 てんとう虫がふっと翔びたつ            藍
人は、いつも自由をもとめている。



山猫様まゐるめぎつねーーー (歌仙「うどんげ」の巻のてんまつ)        矢崎藍
    
     
                                    「挿花」(小原流)1997,6月号 加筆転載「連句協会報」101号−102号            

                          

ファクスがくる。摂州山猫さんから。宛名は「参州めぎつねどの」ーーつまり私はきつねなのだあ。

 二年前ちらっとお逢いしたときの山猫さんは、私にとってかねて聞き知る連句の大先輩という方だった。私も狐ではなくて、阪神大震災後の三月、大阪で開かれた連句の会を中日新聞の仕事で取材にいった一匹ののら猫物書きであった。まずはその片山多迦夫氏という方の捌きの座を、横からのぞいただけ。でも、今でもはっきり覚えている。
  震災後暮らしはつかにシクラメン 多迦夫  
   洗濯ものに風光る午後      芳子
という発句・脇の付け合いで始まっていた。「暮らし はつかに」にいたく感心した。惨たる震災の事実をそこにひそめておいて、シクラメンの花の一種ひ弱な美しさ。ーーもちろんここまでは一句の感動なのだが、その発句に脇がついたときの明るさ。シクラメンも洗濯物もなんと明るい光を浴びて、ほっとしていることか。
 句が付いてさっと変化する情景、句と句の共感の流れーーやはり連句は「動」である。新聞記事にももちろんこの付け合いを載せた。わずかなつながりができたものの、その後お逢いすることはないまま、半年後、この大先輩に文音(手紙の連句)のお誘いをうけた。緊張した。私は「連句が好きで好きで遊ぶのだあ」と広言するいまどき派。で、あちらは、年期のはいった俳諧師である。そういえば江戸時代には旅をして各地の宗匠の門を叩く武者修業ならぬ俳諧修業があったという。
「頼もーーーオ」
 こちらから出した句がよくないと玄関払いになるかもしれぬぞ。
 

まず発句。氏の俳諧自選集「うどんげ」の中から私が選ぶことになる。
  昭和十六年、たぶん旧制中学の学生さんであったころの句にひかれた。

   1 優曇華や母にひとつの古き琴   多迦夫 (夏)

手紙を書く。「お笑い下さい。昭和十六年の私は一歳です。祖父にとっては七番めにようやく生まれた女の子でした。(父の兄弟は五人すべて男の子。父の最初の子が私の兄)祖母は女の子の孫にいつか琴を教えようと楽しみにしていたのです。でも、やがて東京大空襲で家も倉も焼け、古い雛人形と琴も、疎開途中の列車が爆撃されて灰になってしまいます。戦後は焼け跡からの出発で琴どころではなく、私が高校生のとき亡くなった祖母は、『あなたにお琴を教えてあげたかったのよ』と琴爪のはいった蒔絵の箱だけをくれました。三千年に一度咲くという優曇華(うどんげ)の花は、はるかではかない夢ですね。

    2 昼寝さめたる夢のほろほろ     藍」  (夏) 

 この長文の説明にもかかわらず、多迦夫氏は優曇華の作句事情について何も語らず、第三がきた。そういえば「句のことは句に語らしめるのみ」とご本のどこかに書いてあったっけ。
 まあ、とにかく歌仙は無事始まったのだった。

   (昼寝さめたる夢のほろほろ)
 3 旅の空星と月との饗宴に    多迦夫   (秋)

第三は発句と脇のもやもやとした述懐をたちきって、目がはっとさめる星空と月である この旅は星空に、輝く月にめぐまれた旅なのだ。昼寝の夢にもその夜空が輝き、ほろほろとさめた夢にまた、旅は続く。ーーこれは私が解釈した付け心。ここで季節が秋になったので私も秋の句を付ける。饗宴だから御馳走でいこう。

 4  千本しめぢ沸き出づる山     藍     (秋)

 これが松茸ではだめなのだ。星と月との饗宴にはぞろぞろぞろと出る茸でなくては。「付ける」ということはそういうふうに前句に感覚的に支配される。けれど今回はどうも前句から「つきつけられる」って感じだな。そう思いながら、私は性来の隙だらけ。つぎに付けた句で叱られる。

 5 鵙鳴いて今たけなはの七番碁    迦   
    地方新聞記者のペンだこ      藍
「前句の響きを受けていない」と一直された。

 6  至急報見し記者の驚き      藍

 これは納得だ。面目ない。七番碁の緊張感にペンだこではただの情景描写ではないか。しかしこういう油断をすかさずついてこられるのは、実にわくわくする。やるぞー! というわけで歌仙三十六句の表六句を終えたところで、緊張は戦闘意欲にかわり、裏にはいる。  
    (至急報見し記者の驚き)
7 サラエボの民に水無し電気無し   迦
8   神のマントの裏は暗黒      藍       (冬)
9 きぬぎぬに銀杏黄葉は降りしきり  迦       (冬 )

9の句は女と別れる朝だ。運命は神のみぞ知る。しかしアパルトマンの暗いドアを開けると明るい街路だった。銀杏黄葉が輝いて降っている。このきぬぎぬには耽溺してしまう 

  (きぬぎぬに銀杏黄葉は降りしきり  
10 生の歓喜よ君の鼓動よ      藍

 ところで、シリアスになっている流れがここから変わる。

11  仙高フ虎は大きな猫に似て    迦
12   ぬめっと笑ふ団子屋の婆    藍

 虎がいなかった日本の昔の掛け軸では、虎はよく、たて一線の猫の目になっている。「ぬめっと笑ふ婆」は門前町の団子屋の婆のつもり。へへへ、この句で通過したぞ。俳諧師ってやっぱり遊ぶもんだよね。
 しかつぎの付け句の遊びようが、また激しい。

   (ぬめっと笑ふ団子屋の婆)
13  見下ろしてフォッサマグナの走る渓 迦

 団子屋の婆が見下ろした渓底は深いのなんのって、フォッサマグナが走っていると。ぬめっと笑ってるのは婆だろうか。それとも摂津の俳諧師御自身? 葉書を表にひっくり返したら、おや、俳句が一句書いてあった。 

  わが星は春天頂のやまねこ座     迦 
 
キャ。やまねこ座なんてありましたっけ。 でも、春天頂なんていうと、なんともかっこいいのである。実は私は三十年前から三河に住みつき「なーに、ただののら猫」などと言ってきた。しかし今、のら猫じゃぜったい山猫に負けるじゃないの。どうしよう。それで狐になることにした。実はこのあたりの民話には江戸時代に、飛脚をするめぎつねがいたらしい。最後は好物の鼠の天ぷらの罠にかかって死ぬんだけどーーまあ、死に方は天の決めることだ。
 返しの付け句の最後に「参州めぎつね」と書き、きつねのしっぽの絵を付けた。そう。ここから私は狐になる。
 このころ私の東京往復が増え、文音の通信手段もファクスになる。(この連句の勢いは確かにファクスのスピードが合っている。こちらの狐の尾マークに対し、あちらからもピーヒョローとファクス音とともに山猫の左右のぴんとしたお髭があらわれるようになる。

「あなたがそんなに忙しい日々を送っているとは知りませんでした。まあ、若いうちはしっかり荷物を背負って坂を登ることですね
             摂州やまねこ拝 参州めぎつねどの           」
ーーなんてわけで。
 そうそう、さっきのフォッサマグナへの付け句だが、時間を一億年さかのぼってみた 

   (見下ろしてフォッサマグナの走る渓)
9   ジュラ紀の夏の終焉の月     藍 

 フォッサマグナのあたりで死滅寸前の恐竜が寒い夏の月を診ていたかも知れぬーーと。 


  山猫様まゐるめぎつね    下                矢崎藍
                                                                        「連句協会報」102号        


 ファクスがくる。摂州山猫さんから。宛名は「参州めぎつねどの」ーーつまり私はきつねなのだあ。

ーー先回(T)の文章を読んだ知人が「藍さんが書くとゼンブ楽しくなっちゃう」と書いてきた。『急げ! 影が逃げる』式の徹底したアカルサ、前倒し性。これはおそらく天性なんでしょう」と。ご冗談でしょう。私ってけっこう暗いんだぞ(イバルことはないが)。 明るいのは連句空間なのである。そこでは未知への好奇心、驚き、表現エネルギーのボルテージが上がっている。そしてまさに「急げ」! 影が消えぬうちに言葉をひっとらえよ! だから、この場に電球をつなげばパアっと白色光が輝くはずだ。
 現に私はファクス紙を手にとったとたん、なぜか狐に変身する。
 
        わが星は春天頂のやまねこ座   多迦夫

なんて眼を光らせている山猫につかまるまいぞ。浮き世の露に濡れたしっぽをぶるんと振り、参州の野をひゅうっとかけていく。
 さて、歌仙「うどんげ」報告を続ける。

13 見下ろしてフォッサマグナの走る谿 迦
14  ジュラ紀の夏の終焉の月      藍    (夏・月)
   
紀元をさかのぼる一億年大地の裂け目を見下ろしているのは、たぶん絶滅を前にした恐龍である。それを照らしている月。ーーここに山猫さんはゆうゆうと次を付ける。
 
      (ジュラ紀の夏の終焉の月)
15 町挙げて音楽祭を祝うらん     迦 

月を見つめたまま、たぶんまばたきしたのだ。一億年が一瞬に過ぎる。月はそのまま空にかかり、向こうの町で音楽祭がたけなわのよう。「らん」の一語につなぎとめられたタイムスリップである。
 しかもこの「らん」にはなんとなし孤独も漂っている。

       (町挙げて音楽祭を祝うらん)
16     十六歳の娘たいくつ         藍 
17  鞦韆を漕げば落花の溢れくる      迦      (春)
18     渦潮を観る舟の大揺れ       藍      (春)
19   世の中は常にもがもなうららかに   々       (春)
                        *鞦韆(しゅうせん)ぶらんこ
 娘のぶらんこの足元から舞い上がる花。ぶらんこも花に囲まれているだろう。あふれる花を堪能してから、漁(あさ)り場で長短句を交代する。
 もっとも、この18の渦潮は初案が、
  沖の小島を包む春潮
である。返信に「春夏秋冬の語はた易く使わないこと。花から三句のわたりはのどか過ぎる」と。まっことさようで。(ジュラ紀の夏は自分で出した句だ)未熟を認め、しっぽをぱたんぱたんと地面に叩きつけるめぎつねであった。
「沖の小島」だの「舟」に「世の中は常にもがもな」と続けたのは源実朝の面影である。

 (世の中は常にもがもなうららかに)
20 五劫思惟の仏敬う         迦 

 寺院で阿弥陀仏に額づいている小さい後ろ姿だろうか。それを遠のかせ、次の句を付けようとすると、「五劫思唯」の語が改めてはるかなのだった。
   (五劫思惟の仏敬う)
21点滴の間遠に朝は白みつつ      藍

 私の記憶の底にぽつりぽつり落ちる点滴は大切な人のベッドの脇で見ていたのである。長い夜を息してきた病人は、白々明けにほっとしたようにやや深く眠る。すでになすべきことは何もなく、その人は永遠の時間に流れ入ろうとしていたーー
しかし、ひとりの思いに沈む間はなく、歌仙のページはめくられてゆく。 

    (点滴の間遠に朝は白みつつ)
22    大震災に家族散り散り       迦
23  茂り野のここにブティックあったはず 藍   (夏)
24    瞳に泌むばかり青き六月      迦  (夏)

なんと鮮やかな青。この六月は旧暦である。「六月や峰に雲置く嵐山」という芭蕉の句のように、梅雨明けのくっきり晴れた夏空である。このあたりで私は自分にそれまであった構えがなくなってとても自由になっているのに気がつく。歌仙の半分をすぎた名残の裏はアバレ場所。しかしそれを意識しているわけではない。ただ、めくられてゆくページのおもしろさに没入している。
 
      (瞳に泌むばかり青き六月)
25身を投げてすき透る魚になりましょう     藍
26 浮名もゆかし夕霧といふ          迦   (秋)

恋の果て、身を投げるのは夕霧さん。六条院の若君夕霧を源氏名とするそのひとは、水に落ちるとすき透る魚になり、ひらひらと泳いでいってしまったとか。
 
     (浮名もゆかし夕霧といふ)
27 臥待の語り尽くせぬ艶話      藍        (秋・月)
28  濁酒を呷りし闇市のころ     迦        (秋)
29 限りなき自由求めし魂ありて    藍  

 いつか、戦後になっている。闇市が立ち、濁酒(どぶ)を呷る大人たち。当時小学一年生だった私に、東京の焼け跡は限りなく広かった
 
   (限りなき自由求めし魂ありて)
30 ゴッホの鴉いまも羽搏く      迦 

芸術はいつも自由を求めつづける。俳諧(連句)の歴史も、形式化と表現の自由との闘いをくりかえしてきている。めぎつねも羽搏くぞ!(羽がないわい)ーーと書いたら、俳諧師山猫の返信は「呵々」という字で笑った。
 さて名残の表が終わり、あとは匂いの花と挙句へ向かい飛んでゆくのみ。
 
    (ゴッホの鴉いまも羽搏く)
31 十字架を並べし丘のなだらかに   藍
32  ちんどん屋行き聖歌隊来る     迦
33 屋根裏に昔々の糸車         藍
34 頬をくすぐる啓蟄の風         迦     (春)

あれれ、啓蟄の句と同時に挙句もきましたよ。
「挙句   桜の園は喜劇四幕。 迦
 これで美しく寂しく、すこし悲しい正花を付けて下さい。チェーホフが喜ぶでしょう。呵々。        北摂やまねこ敬白
参州女狐様参る  二月七日。九時四十分」 
また「呵々」じゃ。笑われながら、すなおに啓蟄の風と、桜の園のひねった句の間で、しんと悲しい自分に沈むぎつねである。

35 花のあともう逢ふこともない握手   藍   (春)
36    「桜の園」は喜劇四幕      迦    (春)

チェーホフは喜んでくれただろうか。
翌日一巻成就の祝辞と喜劇四幕の説明がきた。
「桜の園はチェーホフ自身が表題に”喜劇四幕”と記して、昔から問題になっているのです。一読して悲劇なることは明瞭なのですが実際に舞台を観ていると、喜劇だという作者の気持ちが判ってくるのです。人生は所詮悲劇即喜劇であるから面白く、そこに俳諧があるという主張です」
 そう、それでやまねことめぎつねは、歌仙の旅の喜劇を演じてきたわけなのである。この喜劇は悲劇か? もちろん! 歌仙の旅の宴はここに終る。私は花の句を作るときそれが無性に悲しかった。連句にともる異様な明るさは挙句とともに消える。二度と同じ巻はない。。人生に同じ時間がないように。そして月日は百代の過客。ーーピーヒョロロロ。 
    
  めぎつねは尾を一閃の流れ星    藍
 
                                            (  「挿花」(小原流1997,6月号)加筆転載「連句協会報101−102 号)


後日談 ーーーところで、このファクス歌仙文音がはじまってしばらくして、私は師の東明雅先生からお葉書をいただいていた。「善哉、善哉。北摂庵宗匠は私が信頼する俳諧師です。充分に胸を借りて伝統的な俳諧の手法を会得して下さい。そして、それを新しい連句にどう取り入れるか研究して下さいーー」ーーかくしていかにめぎつねが背のびしてつっぱったことかーーー!
しかし、この歌仙行で、山猫座が出現したからこそ私は狐。そして、私が狐になったこともぽつぽつ知れて「狐になったお祝いに一巻やりましょう」なんてFAXが舞いこむ。え、武州の狸さんからなんですって。そしてとうとう上記の歌仙行のてんまつを北摂庵経由で読んで下さっていた東明雅先生から、再びお葉書で「この際、紫狐庵、あるいは雌狐庵と名乗られてはいかがでしょう」などとお言葉をたまわり、コン! ついにめぎつねはふさふさ尻尾をひっこめるわけにいかなくなったのでした。俳諧ーーを辞書で引くと1がおどけ・たわむれ。滑稽である。  
           たわむれにきつねになりしいのちかな       藍 (2000,5,19)


 *写真はキタキツネ 撮影  窯 於 北海道留寿都 標高994m山頂     


      うどんげの巻  ファクス 文音

優曇華や母にひとつの古き琴      多迦夫
 昼寝さめたる夢のほろほろ         藍
旅の空星と月との饗宴に            迦
 千本しめぢ沸きいづる山           藍
鵙鳴いて今たけなはの七番碁          迦 
 至急報書く記者のペンだこ          藍
サラエボの民に水無し電気なし          迦
 神のマントの裏は暗黒            藍
きぬぎぬに銀杏黄葉は降りしきり        迦
10  生の歓喜よ君の鼓動よ            藍
11 仙涯の虎は大きな猫に似て           迦
12  ぬめっと笑ふ団子屋の婆           藍
13 見下ろしてフォッサマグナの走る谿       迦
14  ジュラ紀の夏の終焉の月           藍
15 町挙げて音楽祭を祝ふらん           迦
16  十六歳の娘たいくつ             藍
17 鞦韆を漕げば落花の溢れくる          迦
18  渦潮を観る舟の大揺れ            藍
19 世の中は常にもがもなうららかに        藍
20  五劫思惟の仏敬ふ              迦
21 点滴の間遠に朝は白みつつ           藍   
22  大震災に家族散り散り            迦
23 茂り野のここにブテイックあったはず     藍
24  瞳に沁むばかり青き六月           迦
25 身を投げてすき透る魚になりましょう      藍
26  浮き名もゆかし夕霧といふ          迦
27 臥待の語り尽せぬ艶話             藍
28  濁酒を呷りし闇市のころ           迦
29 限りなき自由求めし魂ありて          藍
30  ゴッホの鴉いまも羽摶く           迦
31 十字架を並べし丘のなだらかに         藍
32  ちんどん屋行き聖歌隊来る          迦
33 屋根裏に昔々の糸車               藍
34  頬をくすぐる啓蟄の風            迦
35 花のあともう逢ふこともない握手        藍
36  「桜の園」は喜劇四幕             迦

         平成七年十二月一日起首翌年二月七日満尾


 現代連句の片隅で                                      矢崎藍          

 
              前句付けと前後付け?ここにも山猫登場             「日本古典文学全集 松尾芭蕉集」月報 (小学館)


ときおり、身のまわりの連句作品を片端からめくって句を探す晩がある。新聞のコラムで宿題にする付け句の前句探しだ。あ、若い作者のこの句はどうじゃ。

 月の夜のこっそりのぞく冷蔵庫  真美

 暗い部屋でひとり冷蔵庫を開けると中が明るい。想像がかきたてられそうな場面ではないか。まずは付けやすいかどうか、ためしにファクスで、連句仲間だの、ゼミの卒業生だのに付けてもらう。たちまち返事がかえる。 

 

     (月の夜のこっそりのぞく冷蔵庫)
  ぼくは母さんのペットではない    ときよ
  失くした恋のかけら探して        聖子
   ポテトサラダが「ヤア」と挨拶     知里
 
 ふむ。冷蔵庫はなかなか奥が深いようだ。そこで私ものぞいてみたら、製氷皿の向こうに海が見えたよ。あ、怪しい影が。待てえ。
  
     (月の夜のこっそりのぞく冷蔵庫)
 よちよち逃げる皇帝ペンギン         藍

ーーこんなひとときを過ごしてから、新聞コラム(中日新聞「付けてみませんか」)で付け句を募集する。ふたを開けて発表する、いわばお祭りまでの、待つ間もまた楽しい。
 昔々精霊のよりしろとなった枝垂桜の下に集まり、句を付け合って遊んだこの国の人たちのDNAは、歴史の変遷に耐え、ちゃんと現代まで伝わってきている。
 精霊は? 言葉の精霊はもともと集中力の働く空間のどこにでも出現する。戦後の学校教育のせいで、出現範囲をせばめられていたけれど、ファクス、パソコン、インターネットなど、おしゃべりな情報社会が到来したのだから、いよいよ跳梁跋扈のときである。
 私の連句経験にしても、実は一座するより手紙やファクスでの文音のほうがはるかに多い。
 ほら、ファクスがきた。やや。ピンとお髭のマーク、摂州山猫さんからだ。「参州めぎつね殿」というのは私のことである。そう。私はきつね。ふさふさしたしっぽをはやし油断のない目のめぎつね。
 いや、もとは山猫さんは摂津の俳諧師片山多迦夫氏であった。しかし私との文音で最初の歌仙を巻いている途中、なぜか、

   わが星は春天頂の山猫座    多迦夫

と名乗り、山猫に変身したのだ。
 対吟の相手が何になろうといいけれど、対吟にもいろいろある。あの歌仙(「うどんげ」)は喰うか喰われるかだった。俳諧も人生も修行年数が足りず、危うく喰われそうだった私は、山猫の出現に対抗しないわけにはゆかない。
   
  めぎつねは尾を一閃の流れ星    藍
 
腕力はなくとも速攻、いや早逃げでいこうという作戦。ーーそれ以来のめぎつねである。
 で、今夜の山猫通信はーー。
「参州めぎつね殿
 そちらでは前句付けをやっているようですが、後句付というのを試みてはいかが。また一興です。今晩飲み屋にて恋の名残の花を一句物したので、その正花の前後の句が欲しいのです。曰く
 
  (            )
 唇を盗まれたのと嘆く花    多迦夫
  (           )          摂州山猫」 

これはまた、付けと転じのパズルである。 別にあわてなくてもいい。けれど長考してからつまらないのを送ったら口惜しい。しばし考えて一案を送る。
「摂州山猫様

  御息所吐息あえかに            
唇を盗まれたのと嘆く花
  宙に震へて黄金色の虻

 いかが。          めぎつね」 
もう一歩のところかかなあと思っているとじきに返信がくる。
「女心の揺曳に黄金色の虻はよし。しかし御息所(みやすんどころ)は”盗まれたの”という現代っ娘にそぐわず。
少し酔いがさめてきたので、ブランディを少々嘗めてから寝ることにします。オヤスミ」 
キッ。キッ。寝られちゃった。でも、女心の揺曳ですって? 私の黄金色の虻は唇を狙っている雄のつもりだったんだけど。それにこの花で現代っ娘はないと思う。雌の目で見ると、気にいらない女だぜ。そうか。わかった。山猫さんは雄なので、自分の作った女主人公のコケティッシュにだまされている。そうだ。そこがポイントだ。
「再度挑戦します。  

快楽(けらく)の扉錫のかけがね       
  唇を盗まれたのと嘆く花
くるくるまはす春のパラソル

この花はウソツキです。   めぎつね」 
 翌朝のファクス。
「うーんいいね。藪の中。経験のないやまねこはただ黙して感心するのみ」
 いえいえ。ときに作者よりも付ける者のほうが句を真剣に読むということではありませぬか。それに、今回はじめてのパズルだったが、前後の句を付けるときはずいぶん多角的にものを見るものだ。
 そこへまたファクス。
「めぎつね殿 追伸
 ご存じでしょうが、こういう花を俳諧の正花で、根のない花といいます。呵々    摂州山猫」 
 山猫軒の数多い注文の中で、この問題はことにおもしろかった。
 そういえば両吟の二巻め歌仙にはこういうわたりがある。 

  幾劫を経しやまねこの声            
師伝あり古壺には新酒盛れといふ  
  胡桃ぽかりと割れし手応へ

 すっぱい新酒だけれど、胡桃をせっせと食べているめぎつねである。そのうちきっとましになるでしょうーーとかいいながら、時々つっぱるのが、野生のあさましさ。この巻では、次の句を付けたときだった。 

盗賊の荷の伽羅の馥郁           
 稿いまだ成らず平成方丈記
あはれ時雨るる上九一色

 時雨の句に上九一色の地名は出すべきではないと、ファクスが返ってきた。
「上九一色は今は理解できるが多分二、三年で忘れ去られる際物時事」と。
 いったんは受け入れ「富獄百景時雨るるもよし」と直してみた。でも、どうも残念だ。
「浅間山荘と上九一色での事件は、私たち戦後教育を受けてきた世代には、わが内なる病として、忘れられない痛みがあるんです。『平成方丈記』執筆の際には、阪神大震災と上九一色はいれるべきです。お願いします」
 何をまあ。いったいどこの誰が『平成方丈記』の稿を書いているのだ。その内容になんだってめぎつねがこだわるのだ。
 それが連句だとしかいいようがない。ただの平句一句だけれど、自分の句への誠実さの問題なのじゃ。イエーイ
 ここまで書いてしまったので、この歌仙「夕づつ」の巻の最後を。さっきの胡桃の句の後には、うっとりする月がついているのだ。 

(胡桃ぽかりと割れし手応へ)        
月を見るやがては妻となる人と
  時が止まってしまふ恍惚
ナウ 薔薇の門くぐりて古き街並に 
  シチリア生まれシェフは早起き
何よりもデュフュイの海の色が好き
  凧ちぎれゆく一点の赤
風神に雷神も来て遊ぶ花
  わだち残さむ春泥の里

 しかし今眺めて我ながらあきれるのは、この明るさだ。このへんは最も難渋した所である。実はその前から山猫さんは奥様が入院中だった。そして私はこの歌仙なかばで子どもが大手術の事態となり、東京往復をくりかえす。やまねこさんからのファクスには「平常心、平常心」と何度も書かれた。二月に始めた歌仙が六月までかかっている。
 それなのに。
 なぜだと思います? 山猫さん。
「それが芭蕉さんの仰しゃる風雅ということでしょう。わかってるくせに憎ったらしいめぎつねめ。
オヤスミ。          摂州山猫」


後日談  ここで私が句にした「上九一色」はオウム事件です。今、この地名と事件は記憶に残るか。際物時事句か?どうお考えになりますか。   藍(2000,5,20)


 3 阪神大震災と心のケアーーー 大阪「癒しの連句会」から      矢崎藍

           連句になにかできることがあるのでしょうか                                                          上               中日新聞聞文化欄1995年取材記事 


靴下はかす重い亡骸    岩尾美智子 

なんという句だろう。関西大震災は多数の人々に突如恐ろしい現実をつきつけた。

 
この亡骸の一句は三月四日に大阪スカイルームで開かれた「癒しの連句会」(蓼芳会15回例会)の中で作られている。
 数人が即興で句を付けてゆく連句の座を、精神病の芸術療法として考えたのは浅野欣也医師(当時東京厚生年金病院の精神科医長・現在飯塚記念病院勤務)で、その著書*「俳句・連句療法」出版を機縁に五年前にこの大阪の会が発足。以後医師、カウンセラーや連句人、被治療者やその家族などを中心に研究と実践の歴史をもつ。

 
今回は災害後の心のケアーが目的となっていたので世話役の竹山さんに連絡をとった。 竹山さんは大阪の釜ケ崎で断酒自助グループの世話などの地域活動も二十年。カウンセリングもしている。震災後には神戸方面から呼び出しの電話がたくさんきたという。絶望状態の人を励まして東灘など被害のひどい地区をかけまわった。「励ますといっても、何より辛かった話をじっと聞いてあげるんです 少し前に大阪駅のホームの人ごみで突然ギャーッと叫ぶ若い男性を見たという。
「みんな驚いてその人を見たけれど、別にその人は病気なのではない。異常な経験をした後の心の
正常な反応なんです」

 そろそろ心配なのが、救助に直接かかわって惨状を経験した消防士や警察官、自衛隊員かもしれぬとも。「カウンセラーだってカウンセリングしてもらいたくなるんですよ」
 
当日会場へ行ってみると、やはりこの日は被災地からの一般参加者が多数あるという。 まず浅野医師(飯塚記念病院)が「災害と癒し」という講演をする。心的外傷(PTSD)という概念がベトナム戦争後のアメリカ社会で注目されたこと。今回の関西での災害経験後には、軽重はあってもPTSD症状は当然起きると考えられる。地震の再体験が悪夢で繰り返されたり、過剰警戒で常におびえたり。そして無感覚の麻痺状態にも落ちこむ それらをほどくのには時間もいるが、誰か(できれば身近な人でなく、専門家、外部の人)に経験を話す必要があるーーと。
 講演後には参加者から堰を切ったようにつぎつぎに被災体験が話された。肉親知人の死のようす。自分のいる避難所での食べ物の奪い合い、いじめなどの人間関係のしんどさ。 連句会はその後にもたれた。
 各座をのぞくとやはり体験的な句が出ていて、句の作者が説明をしている。
     
      焼き鳥持参で被災地慰問      奥隆司

    リュックずらり満員電車の網棚に   川原章久 

章久さんは嫁いだ娘さんが甲子園住まいだった。「私はエサを運んだんです(笑)。満員だから乗るといっせいに重い買いだしリュックを網棚へ乗せます。淀川を渡ると景色が変わり”彼岸”という言葉を思いました」
 確かに淀川を渡ると屋根に青いカバーがかかった家だらけになる。目の間違いかという角度の倒壊ビルがある。
    彼の人へかからぬ電話もどかしく 神谷幸子
「恋の句を作れといわれてもやはり震災から離れられない」と幸子さんが笑う。
 隣の座の西宮の佳子さん。「友達に電話が通じたので行こうかというとダメって。道がない。堀りだされて並べられた遺体をまたがなくては歩けない。確認できればましな方で紙のようになった遺体もあったんです」
 彼女の句を受ける次の句も見てほしい。
 
       災難越えて生きる喜び     福田佳子
    水仙の香りほのかに瀬戸渡る    田伏薫 

ただ穏やかな日々をとりもどしたいという思いが海に託された。水仙のほのかな香りが机を囲む仲間をやさしく包んでいる。ーーこれこそ連句での付け合いでの心であるが、それがここでいう「癒し」でもあるようだ。
 両開きに倒れた箪笥の下から助け出され、孫のオートバイに乗って京都へ逃げてきたというのは川端美佐子さん。

   
   
はるばると逃れ来し身をなごませる 美佐子

「今日は久しぶりに皆さんとおしゃべりしてゆっくりさせてもらいましてん。連句なんて初めてなんですが、本当に来てよかった」という美佐子さんの言葉は、会合後の懇親会でも多く聞かれた。
座の横の交流が傷ついた心を癒すようです」と浅野医師はいう。「医師と患者という対面のカウンセリングとは違う効果です」                                                                                                 
                      (1995,4,13 夕刊)


   3 阪神大震災と心のケアー 大阪「癒しの連句会」から       矢崎藍

            ボランティア・奉仕・自助とは?心のケアとは?

                       下               
 中日新聞文化欄取材記事1995年  


 連句誌「れぎおん」の編集長の前田圭衛子さんは捌の座に震災の句を入れない。西宮のマンションで被災し今も夜は公民館の避難所泊りの生活。だからこそ、すがすがしい初春の気配の句を選ぶという。
    
     鍋物に堅田の芹のあさみどり   森田蓉子 
       音なき村に降る春の雪     山崎瑞子 


他の座でも一巻の中に震災の句ばかり出すわけではない。辛さを語り合った次には想像世界で安らぐのが連句だ。例えば次の作品。

       
 
十二調「激震地」の巻 (永井一子捌)   

激震地街路樹すくと芽ぐみおり 竹山美代子
  悲しみおさえ風青き春 長谷川風水
水運ぶ乙女の領巾のたなびきて   矢崎藍
 返歌を待ちし夜のしらじら   永井一子
十九階ひとりグラスにワインつぎ   板東芙美
  さやけき香り鉢の鈴蘭   大西邦子
胸元にとまる蛍に子の泣きて     芙美
 月光淡く牌の雑音     風水
運動会明日に備えて白線を 長谷川道子
 サラブレッドの毛並うつくし      風水
あこがれのチロルでチター聴きながら     邦子
吹雪のなかの影動かざり     芙美 

 最初の句(発句)は竹山さんが、地震直後の凄惨な東灘区から戻る道でよんだ句。それに付けたのはその日竹山さんの訪問を受けた長谷川家の長男の風水くん。一家は恩人といえる人を失った。かけつけた時その人の家はぺしゃんこで、泣くよりほかすべがなかった 風水くんはこの句で悲しい神戸にやがてさわやかな青い風が吹き渡るように祈る。
 つぎの句の「水運ぶ」は、実は震災の折の火災を消すバケツリレー、そして、生活用水の運搬の話がここでしばらく話されたからである。しかし連句では1句目(発句)と2句目(脇句)は現実であるけれど、三句めからはそこから離れねばならない。それで、私は古代の乙女の何やら悲しみを秘めた姿に転じてみたのだった。このように三句めで別の世界に転じるというルールが、浅野欣也医師によれば心が過去の世界をふっきる練習になるのだそうだ。最後(挙げ句)がハッピーエンドという温かさも、連句の約束である。
 もっとも癒しの連句会と看板は出ていても、精神科医、カウンセラーは一般人の間にまじっているだけ。捌も連句人が主で、新人の多い普通の連句会と変わらなくみえる。
「それでいいんです」と浅野欣也医師はいう「癒しの連句会という名がついているだけで捌く人は自然に受容的になるものです」
「誰かを癒すというふうには考えない」と竹山さんもいう。「お互いに癒すんよ」

 
彼女は長年の地域活動でもボランテイアという言葉を使わない。災害直後の物的、労力的な救援は別として、長い継続的な関係になると、ボランティアとか奉仕という言葉は、与えている(と思っている)人と、与えられている(と思っている)人の間に抵抗を生むという。竹山さんは代わりにディアコニア(共に生きる)というギリシャ語を使う。社会にある隙間を埋める行動だという。
「そこで大事なのは楽しむこと。自分が苦労して他人に尽くしてあげるのはだめ。自分に向いたことをする。私が連句療法に夢中になったのはそれ。自分が楽しいの。そうすると楽しさが相手に伝わるでしょう」
 私たちの社会は制度的にも習慣的にも、こうした助け合いについて経験不足である。権力者から民衆への恩恵ではない関係ーー私たちが作る行政や機構に私たちを守らせ、その隙間をうまく埋めてゆくという考え方は、これから手さぐりで探してゆかねばならない。 ただ、この震災に災害のためでなかった「癒しの連句」や、竹山さんたちの釜ケ崎を中心とする地域ネットワークの炊き出し技術が役だったことは、ふだんの助け合いこそが不時の備えになることを教えている。
 翌日、翌々日と東灘、長田区方面を訪ねた 避難所で話してくれた男性は父母をここ十年で相ついで亡くし震災で家も全壊。「こうなると幸福な人を見ると腹が立ちます」余震で逃げるリアルな夢を何度も見るという。
 電車は住吉までで、灘まで国道2号線を行くバスに乗ると前後左右を工事車に囲まれ渋滞。町々は地震による
破壊と建設のための破壊とで、騒音と埃である。全国から集合したかのような数のブルドーザーやシャベルカーが半壊のビルにのぼり、また瓦礫をすくう。 竹山さんはいっていた。「被災地は復興の段階です。仕事、住む家や建物の片付け金策、行政への手続き。地域との関係。すべて具体的解決に前進している。もう身辺にあの辛かった個人の心の記憶を話す場がなくなる。だからこそこれからのケアが必要なんです」 
 長田区の常盤小学校もまだ避難所である。時計塔の下に洗濯物が日を浴びている。
    
   震災後暮らしはつかにシクラメン     片山多迦夫 
     洗濯物に風光る午後            高見芳子

「”暮らしはつかに”はね、わずかに日常が戻ったかなーーと。まあPTSDでいう虚脱
状態だな」とは多迦夫さんの説明だった。
                                                                                                           
 (1995,4,14 夕刊)   

*浅野欣也・飯塚記念病院医師 医学博士
 日本芸術療法学会理事 連句協会常任理事 第六天連句会所属(雅号黍穂)1982連句療法について第十四回日本芸術療法学会発表(東京厚生年金病院精神科医長浅野欣也)
1990「俳句・連句療法」(創元社)出版   飯森真喜雄・浅野欣也編著
蓼芳会1991・6・1発足 世話人竹山美代子

*その後の蓼芳会の活動はこのホームページの「連句情報」にも出ています。
*この取材時には麦さん、蕗さんも同行。蕗さんが会長をしている刈谷氏の婦人会連合会で竹山美代子さんのご講演をしていただいたり、人間関係のネットワークが広がりました。


メリカ連句行   (国際連句協会の1ヶ月の旅の記録)                  矢崎藍
                             
              言語の壁越え理解を深める 個の社会に広がる「人間関係文学
   

                                                         (朝日新聞 1992,文化欄10/1 10/2 10/3)


●アン王女の巻を巻きおえて一座乾杯!

 ここ数年人気急上昇中の連句に海外からの関心も高い。国際連句協会(近藤クリス会長)はそれに応え、この八月に北米連句ツアーを企画。近藤正(成溪大学教授)・クリス(工芸短大講師)夫妻をリーダーとする日本の連句人がカーメル、サンフランシスコ、サンタフェ、ミルウオーキー、ニューヨークと、一か月にわたる連句の旅をした。各地での実作参加者は日本人十二人、アメリカ・カナダなどから八十八人、のべ二百三十二人で歌仙半歌仙など二十六巻を巻いて帰ってきたーーー。
 北米で連句実作を楽しむ人は意外に多い。もちろんハイク人口の増加がベースである。ハイクの親である連句は、実はバショー(芭蕉)理解にも欠かすことができない。
 一方ノーベル文学賞作家のオクタビオ・パスなど先端的な詩人たちは、ロマン主義以降の詩のゆきづまりを連歌・連句のような集団による詩制作により打開しようと提案してきた。大岡信氏の海外での連詩も注目されている。
 ハイク機関誌の連句作品に登場する名は全米で五百人以上。連句の作品コンクールさえある。
「ただ作品は文音(手紙)です。彼らには肝心の座の経験がほとんどないんです」と近藤さんは言う。顔付き合わせての座に働く判断の流れ、即興制作の緊張感、そして仲間との楽しい共感ーー作品には見えないものを体験し、本当の連句を知ってもらおうというのがこのツアーの主目的である。
 しかし英語と日本語混在の場でそんな連句ができるのかーー。もっていないでもなかった懸念はじき消えた。どの座でも近藤夫妻が通訳を奮闘してくれたおかげもある。でも、結局はお互いの句を理解し合えるかーーなのである。
         
      アン王女のレースゆかしき秋の旅            藍
         moonlit paths/mesh for a while

            (月かげの径しばし交わり )       ダグ 

 ミルウオーキーでの私の発句に出てくる「アン王女のレース」は、その地に一面に咲く白い花。しかしゆかりが知りたいという意味を含む「ゆかし」を訳すのは難しい。クリスさんと私だけでなく一座が話しあった末、nostalgic とする。 そうした上で付いた英語の脇句である。レースの花に月光がさした。小径が一本になり、また分かれる情景が「ゆかし」によりそう。 このとき付け句は六人で十数句出ているが、この句を選ぶのには全員が賛成した。 さて三句目は、

      a child dreams/pinecornes popping/in the fire
                (子らの夢松ぼっくりが火にはぜて )      ケント


 松ぼっくりの炎の色の美しさをケントさんがいきいきと話す。私たちは彼とともにその夢を見る。
 言語の壁は議論や雑談で補われる。恋句では日米のデート事情を比べて大笑い。日本での座と変わらない楽しさだ。
 
参加者の感想もそれを裏づける。
「仲間と句を創るのは孤独でなくていい」
「自分の詩が選ばれなくても何度もトライした」
「そうよ。その場の勢いで句はテイッシュみたいにつながって出てくるわ」
「各句の作者名はあっても、作品全体はみんなのものだね」
 問題はある。まず季節。北米大陸の中だけで気候帯がちがう。各地のハイク協会で季語がまとめられつつあるが、共通認識には年月が要りそうだ。 
 それに定型のこと。575と77の句を英語では普通三行詩、二行詩とするが、内容の量、リズムともあまりに自由すぎないのか。この課題はハイクと共通している。
 今回のツアーでは、討論・講演会も盛況だった。同行の福田真久国士舘大学教授が俳諧史を講義する。伝統的な式目や転じの智恵など、細かい基礎知識の資料も配った。
「ルール(式目)があると創りやすい」「これまでただ連想だけで詩をつらねていて、転じを知らなかった」という感想がかなり出た。
 三句目で転じ、変化してゆく機能は連句の生命だから、それが知識と実作を通じてわかってもらえたのは、成果だった。
 多くの人と出会い語り続けた連句の旅である。
 サンタフェの詩人たちとは、「複数による唱和の詩は字をもたぬ時代のどの民族にもあったのではないか」という話をした 詩で会話するという、多くの文明が捨てた喜びを、私たちの先祖は愛し、追究し、芸術の形式にまで育てたのである。(日本はシルクロードの終点で、文明が通りすぎず発酵する国。地理的条件に恵まれ、小さい文化が守られたと私は考えている)
 今の世界でユニークな詩型式である連句は、人類の求める普遍性も持っている!
「ジャズに似ている」「ホログラムのようだ」「映像芸術に近い」ーー連句は(たぶん原初的で未分化であるゆえに)即興性、対話性、知的ゲーム性、パフォーマンス性と多くの性格をかかえこむ。
 近藤さんはニューヨークで、連句朗読に即興のモダンダンスをあわせる実験をした。「連句はポストジャンルです」と彼はいう。
 そんな連句をアメリカの文化の未来への方向と一致するとみるのは元アメリカハイク協会会長のビル・ヒギンソンさんである。
「1950年代、朗読する詩人がこの国のカフェを席捲して以来、詩人たちは文字を離れ、人の中にはいり、ともに語ろうとし続けてきた」ーーと彼はいう。 個の社会の国アメリカに、人なつこく入りこんだ連句はいわば「人間関係文学」といえる。各地にできた拠点からの広がりが楽しみである。(1992,10,2)


         メリカ連句行   (国際連句協会の1ヶ月の旅の記録)           矢崎藍       
                        中   
                 地球のリズムに触れる季語
  日本にない季節を詠む                           

                                                                    朝日新聞文化欄 1992, 10/2)


サンタフェ。藍、クリス、ビルヒギンソンさん

 米国連句の一座では、仲間の髪、皮膚、目の色がカラフルである。しかも少し話すとそれぞれが遠い先祖の故国を持っていることがわかる。アメリカ文化の中に生きながら、移民してきたファミリーの記憶は、スカンジナビアだったりイギリスやウクライナだったりする。現在国籍の違う人もいる。大陸自体の歴史をさかのぼればインディアン文化がある。
 そこで日本の伝統文化のレンク(連句)をする私たちだ。鑑賞してもらうのでなく共にする≠フである。季語はいつも問題になる。
「駒鳥の姿はニュージャージーでは春のしらせです。しかしサンタフェではクリスマスのころ駒鳥がたくさん止まっています」
 米大陸は広い。季語などなくていい、というハイク詩人もいるらしいが、最近は季語派が多いそうだ。
 討論会の席上、季語によって小さな自然の変化に目をとめることを知り、人生観が変わったという発言もあった。ある女性は「感じることです」という。「そうすれば一年中気温の変化のないカリフォルニアにも夏や秋があることがわかります」日本の伝統的な季語のシステムに従うことで、地球のリズムに触れることができる――と評価するのは、アメリカハイク協会の会長経験者のペニーさんである。
 ところで連句の季節には季語だけでない側面がある。四季の句と無季(雑)の句を一巻(歌仙なら三十六句)にバランスよく配分する。人事自然の森羅万象の素材に時のサイクルも取り込んで、ひとつの宇宙を表現するのである。
 サンタフェの赤土のアドベ建築の学校での実作中に、コスタリカからきたアルバロさんがこんな質問をした。
「私の国には四季のほかに雨季と乾季がある。例えば雨季の句は季節の句の資格がないのですか」。
バングラデシュのカーンさんもいう。「私の国でも春夏秋冬に雨季と乾季をくわえて季節は六つある。タゴールがそういう詩を書いていますよ」
それどころかカーンさんは「実は夏のつぎにくる乾季と秋の間にもうひとつ、どの季節ともちがう透明な美しい季節があるんですよ」ともつけくわえる。
私たちはその連句参加者(連衆)によっては一巻にそんな特別な季節の句もいれていいのではないかと話し合った。
ではその場で雨季乾季の句が出たかというとそう簡単でもない。雨季といわなくても、雨季を象徴する素材(それを煮つめたのが季語である)が要るのである。その民族が雨季・乾季をじっとみつめる歴史的な過程が必要なのかもしれないなどと、私は考える。
でも、カーンさんはこの日こんな挙げ句を作っている。

      a sitar plays/spring*s bounty(シタールつまびく春の豊穣)

 バングラデシュでは穀物のとりいれが二回。日本の季語の麦の秋よりもっと華やかな、これは春の黄金色の収穫の喜びの句なのだ。
日本人が知らない季感が詠まれること、そしていずれは知らない季節も詠まれていく可能性――それは連句の未来の楽しい広がり方といってよいのではないか。
 一方、説明が必要なのは月の座と花の座である。共に千年昔からの日本固有の文学的美意識である。それでも月は天体だからわかりやすい。満月より新月を尊重する国もあるけれど、月の美しさはだいたい共感がある。では、花の座は?日本の桜の花は彼らにはあくまでもエキゾチックな美しさであって実感ではない。
 この旅でも「flower」の座といえばライラックやパンジーや花束の句が続々と出る。近藤正・クリス夫妻は相談して途中で木の花の咲いている「blossom」の座という表現にかえ、句に特定の花の名を避けさせた。

         warm stone/the quiet of the past(石の温もり過去のしずもり)     キャシー
   stop now/the blossom speaks/the unspoken(止まれいま語らぬ声を語る花)    ダイアン 


春の石の前句とともに感動のある花の句である。ただ、日本人には桜の花の風景でも、ダイアンさんたちがほかの木の花を思い浮かべている可能性はある。アメリカ人が、説明なしに英語でこの連句を読み、「blossom」の単語の花の句で、何の花を 思うか?
「バラの花と思うかな」とクリスさんも笑う。地域によってはハナミズキかもしれないという。
日本でも花の座のハナという意味は本来華やかさの極という抽象的な意味である。代表は桜であるけれど、花火(秋または夏の花)花嫁(雑の花)も時には許されるから、一巻の盛り上がりを確保する力(ハナ)をもつのなら、バラのイメージでもいいともいえる。
 それとも日本の連句の伝統美意識である桜の美こそを主張すべきか? 詩の形式が外国へ出るということは、その形式の中の必然性と普遍性を具体的に問われることなのである。   


メリカ連句行             (国際連句協会の1ヶ月の旅の記録)       矢崎藍
                             下
              
   
恋句で連想「伊勢物語」・句の間つなぐ面白い話                                            
                                                                                                                                                                        (朝日新聞文化欄 10,3)


ニューヨークのpoet’s house。中央近藤正・藍・福田眞久

米国連句でも恋句は楽しい。

 くつろげば互いの想いふくらんで         ダグ
   どこの隅にも君のママの目          クリス 

                                    
読みあげると、男性たちがどっと笑った。娘の母親たちの監視はだいぶきびしいらしい。

  瀑布の響き遠くかなたに            ジョン 
                                    
これはさりげないやり句である。これに夏の恋句をつけてもらう。日本人だと浴衣がけの恋にでもなるところ。でも、ここで付けたのは、カナダハイク協会の会長で、連句の勉強のためニューヨークに泊りこんでいるマーシャルさん。

     just you/naked and careless/under the ceiling fan

  天井にファンがくるくるまわっている。ちっとも警戒心のない彼女の裸! 少し苦労して「天井ファン君の裸は何よりぞ」と訳してみた。(もっといい訳があったら教えてください)。それにしてもまさに滝の音も遠のくおおらかな景色。みんなでひとしきり鑑賞した。日本ではこういう句は珍しい。だいたい伝統の恋の美の最高理念は「あはれ」なのだ。現代連句でも、屈折し、抑えられている恋句が多い。575と77での恋の美が歴史的にも個人的にも追究されて、句とはひねるものであるという見方もある。でも、表現だけでもないかな。ある年代以上の日本の女で、恋人の前でこうのびのびと脱ぐ経験をもつ人は少ない(――のではないかと私は思う)。恋は万国共通だが、生活感、倫理感はすこしずつちがう。
ニューヨークの連日の連句会・講演会の合間には、数人でハドソン川対岸のホーボーケンへ渡った。クリスさんの弟の写真家ジェフさんとジャズダンサー、ダイアンさん夫婦の家を訪ねたのだ。目的はやはり連句。ちょうどハリケーンが近づいていて、私は「ハリケーン来たれハドソン連句行」なんて景気のいい発句を出し「ハリケーンの巻」である。
このときは恋句を楽しむため、出た付け句をぜんぶ公開して、皆の意見をきいたのだった。
中で一番人気があった句が、
       clear intention/candles at dinner    Dee
                                      
「直訳すると明快な愛の意図、ディナーのキャンドル≠ナすね」と近藤正さん(成蹊大教授)が教えてくれる。私はやや不満である。愛の告白だけでなく、もう少し具体性がほしい。そういうと、アメリカ生活も長い近藤さんは「キャンドルに具体性がありますよ」と笑う。「キャンドルはね、こちらでは意味がある」クリスさんが説明してくれた。――恋しい彼女がキャンドルを立てて彼をディナーに招いた――これは愛の表現である。私は「だから、愛の表現≠セけじゃ恋句として弱い」といって、また笑われる。
「この愛の表現ってことは、このあとベッドインOKってことよ」
いい年をして私のニブいこと!
まあこうやってアメリカの恋の条件や手順もちょっとずつわかるのだ。この句をこう訳して私は納得した。
     
      今夜いいわと告げるキャンドル  ディー
                                    
一ヶ月の連句行ではこんなたぐいの話題がたくさんある。ケノーシャの詩人カールさんは「連句を初めてしたが、伊勢物語のようだ」といった。句の間に、面白い話が入ってはつながっているからだそうだ。日本の古典文学の流れに、こういうおしゃべり心を見るのはまちがいではないと私は思う。
この旅の最後のパーティーは、ジェフさんのマンハッタンのスタジオで開かれた。
例の「ハリケーン」の巻を発表したのだが、このときこの連句の連衆でもあったダイアンさんに、朗読にあわせて創作ダンスを踊ってもらった。
連句にレオタード!でも、内容はハリケーンから始まり「今夜いいわ」のキャンドルもある。
恋でないドラマもあった。この半歌仙の後の方、11句目から挙句までを書いておく。

  前線の写真家頭上弾かすめ        福田真久   
                                    
     視界の果てにつかみたる距離      ジェフ
                                    
   平原に出でたる月の血の赤さ        ディー
                                     
      ハイウェイづたい蛍かずかず     ミンナ
                                    
   観覧車振り回される解放感          ダイアン  
                                    
     石の温もり過去のしずもり         キャシー   
                                    
   止まれいま語らぬ声を語る花          ダイアン   
                                    
      駒鳥見えし餌台の下            ローラ     
                                   
ダイアンさんがしなやかな肢体を躍らせ、スタジオいっぱいに表現してくれたダンスは、たぶん連句ダンスの事始めである。
「連句は実作そのものがパフォーマンスである。でも、作品の発表にもパフォーミングをしてもいいんじゃないか」という近藤正・クリス夫妻。国際連句は、未来にむかって楽しく発進である。


「何が起こるか未来への挑戦」 ――連句とインターネット――            矢崎藍  (ねこみの41号 2000.10/15)


 99年の元旦にホームページ「矢崎藍の連句わーるど」を開きました。トップは念願の連句実況「歌仙ing」。何てったって連句の魅力は作成プロセスの動的空間です。伝統歌仙に正面から取り組む舞台を見せよう! 第一弾は山猫庵片山多迦夫とめぎつね藍の歌仙「パンドラの巻」。FAXの文面をほぼ毎日公開します。BBS(掲示板)に質問も出て刺激的な出発でした。
 この三月に第二弾。歌仙「風眩し」の巻三吟は、猫蓑庵東明雅登場! vs山猫庵に加えめぎつねも(コン、ぶるぶる)。 ほぼ一ヶ月の実況を経て校合に至り、明雅先生は「この一巻の付合のおもしろさ(付味)を、インターネットの読者が理解して下さればうれしく存じます(三月十七日)」と書いて下さいました。俳諧師として鍛えられたプロの技量、日本の伝統美意識と精神性を示しつつ拓くあたらしみの世界。未経験者の多いインターネットの連句世界に、お手本の一巻をいただいたつもりです。舞台はまだのせてありますので、ぜひご覧下さい。
 まったく予想外の展開になったのがBBSの鎖連句です。当初はホームページの読者の交流、感想発表の場でした。やがて散発する付け合いの中から三句め、四句めと続く鎖が1本。「わあ、つながってるう」と喜ぶ声にあおられ伸びてゆき、番号を付けたのが四月末で160番くらいでしたか。現代人の中で付け句をしても、やはり鎖連句が発生する? これはわくわくする実験ですよね。
 ここで付けと転じを死守すべく根本ルールを定め、投稿の際に直前二句をコピーして三句めの付け句案を出すという型を作りました。これは読者にも常に三句を鑑賞する習慣を要求します。前句との付け合いを読み、ウチコシからの転じに目を見はる。一句一句が未来を開く。この読み方を知ってもらいたい。
 でも一日百発言もある情況での連句BBS運営は大変なこと。参加者は連句歴もいろいろで質問も頻発します。長期お休みを二度とり数回の構造改革をしました。私たちがこの場で目標とすることは何か。連句のルールはもちろん、モラルも明記する。スタッフにはころも連句会の聖子さん、慶子さん、渥子さんのほか、BBS連衆から在米の雨乞小町さん、札幌の目吉さん、杏さんも参加。法律、心理学など専門家の助力も得て、いまは一応のレールにのったかなというところです。
 先日はオフ会をしました。女だと思った人が実は男であっても、話をしているとBBSの懐かしいあの人に違いない。連句縁って、性をこえるつきあいかもしれません。
 KUSARIの特色のひとつは世の中と同時点に存在することです。例えば九月二四日の朝、オリンピック女子マラソンのテレビを切りBBSを開いたら5分前に句が入っていた!
5736  時計台から響く鐘の音                 小晴
5737 シドニーの春を尚子が駆けぬける           聖子
5738   綿毛のゴールたんぽぽの笑み          小太郎

 たった今の感動を共有できて、「うまい」「やられた」しばし一騒ぎでした。
 十月には六千番になりそう。でも急いじゃだめよ。私たちが一日一日を生きるように、誰かと誰かが一句一句をていねいに付けて転じて鑑賞しあい、つながっていこうね。初心者もまじりたどたどしくてもいい。時にきらりと光る付け合い、三句があり、もし十句も玉がころがれば何よりのこと。
 ホームページには新聞のコラムも大学の「国語表現T」「文学表現」の授業も連動しています。学生BBSは、学生が前句を出しての付け句の場になりました。目下不思議に増殖するインターネット世界。何が起こるかわからない。でも、連句はいつも未来への挑戦!
(ころも連句会・webBBSめぎつね座)



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